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ファンを作るという生存の知恵~ドメスティックという市場~


先日、久松達央さんの『農家はもっと減っていい 農家の常識は「ウソ」だらけ』という本を読んだ。規模の大きくない農園が生き残るための工夫が盛りだくさんの興味深い本であった。


大きな資本を持たない中で生き残るためには何が必要か。その一つの答えがそこにはあった。圧倒的な技術力というわけではないが、コンセプトへのこだわりが感じられ、自分自身が商品を愛する顧客である、という方向性。

関東ローカルの書店チェーンである「有隣堂しか知らない世界」のYouTubeについても、同様のことが言える。



顧客の感情面への訴求により選ばれる存在になる。

少なくとも、自分はこの商品選ぶんだよね。あなたはどうよ。
いいよね、そうだよね、いらっしゃーい。という流れだ。

・『共感』という繋がり
・『愛される』という付加価値 
・『しゃーねーなー』の感覚 


同情というネガティブなものではない。人は常に面倒と戦っているし、あの人が言うなら『しゃーねーなー』で腰を上げることは多い。

ECが一般化するなかで、人が見える、声が聞こえるというだけで差別化要因になり得る。もちろん、話を聞く時間に余裕がある人が対象となるなど、市場は限定的だが、映像文化が波及しているのは追い風だ。

ただ、接客技術の中で私がこれまで特に重視してきたことは「覚えている」ということだ。徹底して顧客情報を頭に入れ、そのニーズを想像しておく。その後、直接話す中でニーズとすり合わせる提案をして、満足を引き出す。期待に応えるべく自分にプレッシャーをかけ、緊張感のある仕事をする。

信用を勝ち取るのに圧倒的な労力と時間を要する割に、ちょっとしたボタンの掛け違いで一瞬でその信用は失われる。自分の中にも、信用されているという傲慢がすぐに生まれ、すぐに怠慢に走るという甘さがひそむ。とかく人間の感情は流動的なので、アジャストし続けることは並大抵のことではない。失敗から学んで改善するしかない。日本人オハコの「改善力」で。

(↓ 池辰彦さんのスタッフコマースの記事を追記でアップします)


・ダンバー数=150の壁
・市場規模と物流コストという壁


継続的な関係構築が難しいのは、癒着構造でもない限り、どの業態でも似たようなものだと考えている。しかし、このドメスティックな手法はダンバー数の影響で、適正な管理が行える絶対数が少なくなる。その結果として個人の状況変化に大きく左右される。 

 
・引っ越して距離が離れた
・属性が変わって必要性が低下した 
・家計には限界がある 
・好みが変わった、別の好みを見つけた


1回販売で、数千万円の売り上げになるような商材なら良いが、単価が低いと収益性が下がり、モチベーションの低下にもつながりやすい。自分の好きがニッチすぎると、市場が小さい。かといって、市場に合わせると好きが減るというジレンマに苛まれる。課題はいろいろあるが、嵌れば強い。

個人事業主として仕事をしていると、最初は獲得した自由に浮足立つが、徐々に会社組織に「守られていた」ことを痛感する。サルトルの「自由の刑に処せられている」という言葉が重くのしかかる。加齢とともに自分という商材が劣化していくのも必然で、アンチエイジングの重要性を悟る。


もちろん見た目のアンチエイジングもあるが、問題は心のアンチエイジングだ。実は簡単なことだ。外の世界に謙虚に触れて「楽しめば」よい。どんどん「好き」を更新していくことが、生存戦略において重要なヒントとなりそうだ。

ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。淀みに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人とすみかと、またかくのごとし。

『方丈記』

・自分の好きを開拓していくマインドが不可欠
・いつだってホンモノには共感が集まる


老いてなお、老いてこそ、私の好きは世界を変える?
謙虚なスキゾなら可能かも。


(2022/8/29)



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