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失われしもの
《余裕》
平安の後宮サロン
教養ある人々が集う場所。
高め合える人々と、時間を気にせず、結論を目的とせず、自分の意見を押し付けず、それでいて他の意見を聞く中で自身の考えを更に確実な血肉としたり、変容させたりできる空間。
私は自分自身が教養ある人間だとは思わないけれども、
そのような対話の楽しさは知っている。
ゆるやかな時間の流れの中で、そのような対話を繰り返せることは、どれほど幸せなことであろうか。
時に他の国の書物を読み、時に他の人の話を聞き、時に先人の知恵を頼りとし、それらを自身の中で吟味して自己研鑽に努める時間は、どれだけ楽しいものであろうか。
高貴ながらも様々な立場・年齢・性別のものが相手の顔を見て、直接意見を交わせるその空間は、どれだけ有難いものであろうか。
《時間》
平安貴族の日常。
様々な作法やしきたりも多く、我々が思っている以上に忙しくあるとは思うが、それでも現代の一般庶民から比べるとゆるやかな時間の中を生きていると思う。
テレビもスマホもない。
漫画もない。電気もない。
高度な人工物に邪魔されることのない、
時間と向き合える生活。
時間とともに歩むことのできる生活。
どれだけ尊いものであろうか。
自然の時間と一体な人の生活。
終わりの見えない膨大な時間の中で、自分という存在と、自分の感情の機微と、ひたすらに向き合える喜びは、どれほどのものであろうか。
《言葉》
和歌や漢詩。
様々な制限の中で、自身の感情と向き合った末に紡ぎ出される言葉の数々。
行きどころのない感情に形を与えることで昇華させる作業は、現代も変わるところではないけれど、
私には何かが決定的に異なるように思える。
自分自身の感情との対話
思慮深くあり、それでいて素直な言葉
なんて素晴らしい芸術なのだろうか。
仮名文字の使用により繊細かつ奥深い表現を可能にした和歌。
漢文ながらも音をうまく使うことで、綺麗な流れに素直な心情を乗せる漢詩。
どちらも時代を超えて寄り添ってくれる力を有する。
《失われしもの》
余裕、時間、言葉。
何かに追われてばかりいて、もっとゆっくり見ても良いものや、ゆっくり見るべきもの、気付くべきもの、考えるべきものの前を素通りしてしまっている。
無意識的なインプットのきっかけを大切にできていない。
大切なものをもっと大切にできる自分でありたい。
一生懸命が中途半端を生み出している。
現実は残酷で思うようにいかないけれど、
その中でも本当に大切なものを見極めて、自分の手で大事にしていきたい。