いかにして、さぼるかだ

食べるには働かなければならない。いや、もっと核心を突くと稼がなければいけない、が正しい。

しかし、働くことはつらい。しんどい。めんどい。はっきり言ってストレスの温床だ。酒を飲んで愚痴を言って寝不足になって、終始眠たい状態で職場に行きまたしんどい思いをして働き、うまくいかず腹が立ち、ストレスになる。そしてまた酒を。こんなループじゃ絶対つらい。

じゃあどうすればいいのか?

それは禁断の果実、さぼりだ。

しかしさぼりと言っても正面からしっかりさぼってはいけない。そんな奴は本当の社会不適合者だ。うまくやらないといけない。同僚の目を盗み、上司の監視の網をかいくぐり、後輩に睨みを効かせ(または仲間につけ)、さぼるために入念な準備がいる。

そもそもすべてをさぼって終わらせることはやはりできない。なのでさぼれる場面を的確に見つけ確実にさぼっていく執念深さが必要になる。そして一度さぼったシチュエーションは必ず次もさぼった方がいい。まばらにさぼったりさぼらなかったりするとムラができて、さぼりが明るみに出てしまう。そうなったら次回にどんどんさぼりにくくなり、たまにさぼるとすぐにバレ、針の筵のような状態になる。さぼると決めた以上、できるサボリーマンにならないといけない。

そんなにさぼっていて、仕事になるのか?

当然そのような疑問が出てくるであろう。ここでよくある、仕事にまつわる民俗格言を引用する、「あの人が辞めたらホンマ回らんようなるで~って人が辞めても案外職場ってうまく回るねんな」だ。めちゃくちゃその職場やそのセクションを回している敏腕社員やバイトがいて、その人物がいきなり辞めてしまっても意外と何事もなかったように職場は回るという事象だ。社内イチの終末論者がもう潰れるわ!毎日残業になる!とか憂いのキャンペーンを言い放つ中、本当に大丈夫な場合が多いので、ただの数十分の間ひとりがさぼったところでどうということはないという事だ。

だいたい昨今の状況下でリモートワークや派遣切りなんかで本当にその仕事、その人数が必要だったのか?と炙り出されかけている状況は、さすがに皆さんご存じであろう。なので大体の仕事はマンパワーが足りているのである。むしろさぼらないとさぼらない損という言葉が生まれるんじゃないかというぐらい仕事量の絶対数が少ないのだ。そう、仕事はシステマチックになりすぎているのだ。

別の視点でいけば、めちゃくちゃがんばって仕事していると明らかにがんばってない、もしくはがんばってそうだが全然成果が出ていない社員やバイトがいることに気が付くだろう。そいつらは正面からさぼってるか、まばらにさぼっているかだけの差なのだ。冒頭で正面からさぼるなといったが正面からさぼりまくると同僚からはがんばってないな!とストレスの対象となってしまう。

また、まばらにさぼると頑張ってそうだけどなんで成果がでないんだ?とか、あんだけ少ない仕事量でどうやって丸一日ついやせるんだ?と疑問を持たれ、またストレスの対象になってしまう。そうなると会社の仕事を処理するシステムがうまく回らず、やむを得ず働かなければならなくなる。それだけは避けなければならない。

さらに冒頭の仕事はつらいとかめんどいとかの後にストレスの温床だと書いたが、ほとんどのストレスがこのさぼり問題から出た社員やバイトの仕事量の差なのだ。だからプロのサボリーマンになる以上、他の従業員に仕事量は増やしてもストレスを与えては絶対にならない。会社の生産性が下がれば冒頭の食べるためには稼がなければならないが叶えられなくなるからだ。

日本の職場は実質さぼったもん勝ちになってるのは事実であるが、そのさぼりの実情が公にさらされてはいけない。絶妙なバランスの上に成り立っているからだ。全員がさぼれば確実に破たんする。が、しかし全員が仕事に打ち込めば必ず失業者が溢れ、同じく破たんする。なぜなら先程も指摘したが仕事はすでにかなりシステマチックになっているのでそんなに労働者が必要じゃないことがバレるからだ。働かずして、さぼる。これはシステムなのだ。よく歯車に例えられるサラリーマンだが、サボリーマンは潤滑油である。職場を無責任に盛り上げ、負けることで競争原理を演出し、知りもしないのにしたり顔でうなずき、それなりの頭数になる。歯車をうまく回すにはサボリーマンは必要枠だ。

最後にこの読者がサボリーマンになるかどうか、社内の状況を見極めてからをオススメする。うまく会社が回っていないと感じたら、サボリーマンになってみるのもいいテコ入れかもよ。

#はたらくってなんだろう

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