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手を包む
私は自分の手がどうしようもなく大嫌いだ。小さい頃はストレスで爪を噛んだり深爪が当たり前で、血が出ても指先の皮膚を剥くのがやめられなかった。それは不安や恐れからくる自傷行為の一つであるということを知ったのは中学生になってから。
母になぜ父と一緒になったのか、と何度も聞いたが、その度に母は「パパの手を見たときにね、この人はきっと、その大きな手でなんでも、どんなことも全て包んでくれると思ったからなのよ。」という。手に惚れたのかと聞くとそうではないけど、この人となら、この手ならどんなことも乗り越えられると思った、と言っていた。
二年前に初めて人から手が綺麗だと褒められた。同じ会社のセラピストは機械やエステマシンなどを使うマッサージは一切行わず、オールハンドで全てマッサージするというこだわりがあった。温もりや癒しは手から伝わる、疲れている目の前のこの人を癒したいという気持ちを込めて施術すればそれは必ず伝わるのだといつも言っていた。
一度、そのセラピストの実験台となり揉んでもらったことがあるが、本当にとても驚いた。私はマッサージをされるのが大嫌いで押されるだけで痛みで騒ぐような人だ。勉強がてら色んなお店で施術を受けたが何が気持ちいいのか分からず、ただ痛みに耐える六十分だったり、触られてるだけでぞわぞわしたり、不快な気持ちになることからマッサージやエステを毛嫌いしていた。実験台で揉まれる前に事前に苦手なことを伝えたが実際に施術されて数分も経たずにウトウトしていた。身体がポカポカと温かくになり、痛いの少し手前でゆっくりと揉んでくれた。他のスタッフの施術も受けたがやっぱりなにか違う、気づいたのは、ただ気持ち良いのではなく、その人の手で揉まれるから気持ちいいということ。
そんなセラピストからある日突然、仕事中に「野田さんの手って綺麗だよね。指が長くてスラっとしていて羨ましい。」と言われた。それを近くで聞いていたもう一人のスタッフは私も、それ、思っていたの。と一緒に褒めてくれた。私の手を取り、見つめ、自分ではコンプレックスだったこの手が褒められるとは思っていなかったから、なんだかとても恥ずかしく、全力で自分の手が嫌いな事を話した。なんで、どうして、と言われても嫌なものは嫌で、一人になって自分の手をまじまじと見つめながらこんな手の何がいいのだろうと本気で思っていた。
今年の二月に美容室へ行った、担当してくれている美容師さんは今年で十年の付き合いになる。高校生から今の私の髪をずっとデザインしてくれている私の人生においてとても大切な人だ。いつも通り髪を切ってもらい店を出て、エレベーターまで送ってくれた美容師さんは突然「野田さんって、手すごく綺麗ですよね。スベスベしていて素敵です。」と言った。この時も慌てて、自分の手がコンプレックスであることをいっぱい話してしまった。エレベーターに乗ったあと、切った髪より手を褒められたことが少しだけ嬉しかった。
先日、あまりにもパソコンをいじりすぎて腱鞘炎になりシップを手首にぐるっと巻き付けなんとなく、その写真をアップしたらいつも仲良くしてくれる大好きな友人が「肌と手が綺麗でびっくりした」とメッセージを送ってくれた。友人はモデルのように美しくネイルもいつも綺麗で密かに推しているくらい私の憧れの人だ。自分の手が大嫌いなんだ、とそこでも話したが自分の手の写真を見返して不思議と昔ほど、嫌いではないような気がした。
お世話になっているスナックのママさんがいる。いつも私を鼓舞してくれたり困った時は私の元に来たらいい、と口癖のように言う。その人は人生経験も長く、沢山の悲しみや苦しみを味わい、スナックにはママに一目会いたくて満席で座れなくても挨拶だけとボトルを入れに顔を見せにくる人もいる。ママさんは私の手を両手で包み込むようにして握り、「若い子の手っていいね、ハリがあって柔らかい。」と言っていた。私は包まれたその手の感触を忘れない、温かくてポカポカして柔らかくて、ずっと包まれたいと思った。
母は父の手が大好きだが私と同じく自分の手が大嫌いだという。血管が浮き出て、シワがあって、細くて、手の話になると歳は取りたくないと決まり文句のように言う。私はそんな母の手をたまに握ることがある。何気ない時、一緒にキッチンで料理をするとき、一緒に買い物をしてショッピングしながら手を繋ぐ。乾燥しているのか少しカサついてて、昔より確かにハリもなく骨ばっていて、家事や仕事で沢山、酷使してきたのだろうなと感じる。でもそんな母の手を握るたびに私は安心する。ホッとしてこの手を握ると落ち着くのだ。温かくて、包み込まれるようなこの手で小さいころは髪を乾かしてもらったことを思い出す。
コンプレックスの手は長い長い時間をかけて人から褒められるようになり、昔より少し好きになれた。私の好きな人たちが私の事を褒めてくれたその気持ちを否定するのは失礼なのかもしれない。今も文字を打ち込むこの指で多くの人と繋がり温かい気持ちに触れた。自分の手に自信がなくても、素直に褒められたこの手にまだ感謝できなくても、いつか温かくて何かを包み込めるような手にしたい。
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![野田 あずき](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/135705388/profile_fae97a214ac33ce36378474e31285c47.jpeg?width=600&crop=1:1,smart)