雲雀丘花屋敷のみちをゆく #2 花屋敷駅
阪急宝塚線の駅、雲雀丘花屋敷。ひばりがおかはなやしき。雲雀丘花屋敷は2つの駅が合体して出来た駅名なのです。「雲雀ケ丘」駅と「花屋敷」駅です。
明治43年に箕面有馬電気軌道、いまの阪急宝塚線が開通しました。その時作られた箕面有馬電車唱歌、12番から当時の沿線の様子がうかがえます。
♪南に開く山の影 新たに植えし花屋敷 木部(きのべ)平井や山本に 四季ももくさの花畑♪
開通当時には花屋敷のみで、雲雀丘はまだありません。花屋敷のあと雲雀ケ丘が出来て、昭和34年雲雀丘花屋敷となったわけです。
花屋敷駅跡地へいってみましょう。東改札口を降り、線路ぞいを川西能勢口方向へ。バスが通ると車のすれ違いが難しいくらいの道です。
花屋敷の道には花の名前が付けられていました。この線路沿いは、南さくら通り。いまは桜の木も数本ですが、昔はたくさんあったのかな?そう思いを巡らせているうちに到着。当時をしのぶかのように、踏切に花屋敷と書かれています。
最近までここにヤンマーの独身寮がありました。4月になると雲雀丘花屋敷駅に見られたフレッシュな新入社員の集団、ヤンマーの新入社員さんたち。この光景を見るたびにさわやかな気分になったことを覚えています。
踏切で車が行きかう中、ぼんやりと立ってみました。踏切の奥に少しの空き地があり、ホームのおもかげが浮かんできます。この花屋敷が廃止統合される際、花屋敷の住民は存続を求め強く運動をしたそうです。
雲雀丘と花屋敷は違う地域だというイメージがあります。開発時期はほぼ同じですが、開発者が違います。そして雲雀丘は宝塚市、花屋敷は川西市。でもその違いだけなのでしょうか。
花屋敷駅存続を強く願った当時の住民の思い。廃止は無念じゃ!その思いがなんとなく残っていて、雲雀丘と花屋敷はなにかが違うと感じさせているのかもしれません。
次回は雲雀丘花屋敷駅へ戻って、雲雀丘のみちをあるいてみることにしましょう。