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自分の記録を阻むもの

その第一は、「慢心」。

「慢心」とは、「もう、これでいいのではないか」という闘争心の衰え、と定義したい。

自分の現状に甘んじ、進歩を忘れた停滞の姿。

それ自体が、すでに「敗北」の姿。

これまで世界記録を樹立した選手のうち、なんと約3分の2は、二度と記録を更新していないというデータがあるそうです。

これは能力の問題というよりも、「もう、ここまでやったのだから」と、無意識のうちに「挑戦の魂(チャレィン・スピリット)」を失うからだと思います。

いったん、限界を突破した人間は、あとは「自分との闘争」と言えるでしょう。

北欧フィンランドのヌルミ選手は、オリンピックに3回出場し金メダル9個を獲得。そして21の世界新記録を打ちたて、”超人”と呼ばれた名選手でした。

世界一を達成した彼には、競争相手がいなくなってしまった。

そこで彼がしたことは、いつもストップウォッチを片手に持ち、トラックを走ること。それは自分のペースをつくるためでもあったが、もはや自分自身の記録との戦いしか、彼にはなかった。

彼は絶対に「もう、これでいい」という慢心にはおちいらなかった。その結果が、彼の偉業である。

そして、彼もまた”練習の鬼”であった。

ヌルミ選手曰く「上達する努力とは、一にも二にも練習です。もう自分は練習なんかしなくっても負けやしないと思ったとき、その人は下り坂にかかっているということをわすれないでください」(鈴木良徳『記録をうちたてた人々』さ・え・ら書房)

自分の「慢の心」に打ち勝った強い人のみが、人生の最高の「記録」を残すことができると確信します。

どこまでも謙虚に自身を磨き、あくなき”自己への挑戦”をかさねていきたい。

そこにこそ、かけがえのない「青春の新記録」がきざまれていく。一流の選手ほど、こう言う。「上にはかならず上がいるものだ」と。そして「自分より真剣な奴がいる」と言った人もいる。

「これほどやっているのだから」と自分で思っても、世界は広い。想像もつかないほど努力している人間がかならずいる。

だから、自分より上の人をつねに見つめながら、「それ以上に練習しよう」「その何倍も勉強しよう」―― この努力につぐ努力が、勝負の世界の鉄則でしょう。

人間として、社会人として、力をつけていかなければ、結局、だれからも信用されない、わびしい人生となってしまう。他人が何と言おうが、自分は自分の内にある”最高の力”を信ずる。

そして、その力をどこまでも発揮していく――これが人間としての本当の勝利への道である。

剣の達人・宮本武蔵は「千日の稽古を鍛とし、萬日の稽古を錬とす」と、『五輪書ごりんのしょ』(岩波文庫)に書いている。これは、いわば武蔵なりの人生の指針であり、勝負の哲学ともいえる。

鍛錬によって人は、みずからを縛る自身の欠点から解放される。自分自身を鍛錬し、培った力こそが、自身の勝利を支える土台となる。要するに、鍛錬が人を自由にする。

鍛錬なき日々は、一見、楽なようで、うらやましく見えるかもれない。しかし、やがては、現実という激しい”風雨”に耐えきれず、敗北の実態をさらけだしてしまう。

より高く、より遠く、より速く、より美しく、より大きな世界へと飛びゆくための翼は、暴風雨の中で鍛えられてこそ、自在に大空へと羽ばたける、と言っていいのかもしれません。

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