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こどもたちはAIに“ありがとう”というのか。
ぼくが勤めている塾もリモートでの授業や質問対応、授業動画の配信を始めた。
そんな中である疑問というか、お得意の妄想が芽生えてきた。
このまま画面越しの人間関係が常識になったら、共感能力とか他者を認識するってことに問題が起きないのか?
画面越しでも相手が存在しているように感じるのは、直接会ったことがあるからではないだろうか。確かに、SNSなどの画面越しの人間関係というモノは存在するし、それによって感情が動くこともある。
でもそれは、リアルな人間関係を経験し、自分とは違うが同じように喜んだり悲しんだりする他者の存在を実感している前提で成り立っているように思える。
それに、考えてみてほしい。SNSでの匿名の批判によって傷つけられる人、傷つける人が存在している。韓国では指殺人なんて言い方もするらしい。リモート化がこのように共感と想像を人からアンインストールしてしまうことに繋がらないだろうか。
そうはなって欲しくないな、、SFであってくれ、、。
このネット炎上、誹謗中傷の嵐がデジタルとリアルが一体となる世界への成長痛であって、共感をアップデートできる新しい文化や常識が生まれることを願いたい。
って、願うだけじゃダメか。
リモート授業一つとっても、リアルにぼくが立つ意味を考えたい。画面の向こう側には誰もいなくて、のぶや(AI)がデジタル世界からお届けしています!どうも!ってなるのとはやっぱり違う意味を。
あるはずだって信じたいだけなのかな。別にAIだろうが、別の誰かだろうがいいのかな。まぁそれでもいいか。
ちゃんと共感して想像して、ありがとうが言える子どもたちになって欲しいという思いはリアルだから。そうか、リモートじゃなくたってその思いはずっと持ってたんだった。
再確認できてよかった。環境が変われど、今の自分に何ができるのかを必死に考えていきたい。
そういう態度だけは忘てまならない。
っていうこの文章。AIが書いてたらどうする?
(終)
*妄想の話。こちらもあわせてどうぞ。
*リアルとデジタルの話。これもどうぞ。
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