見出し画像

【人生最後の退職エントリ】8年間の会社員生活に別れを告げて

2024年9月末をもって株式会社インタースペース(ならびに出向先の株式会社ユナイトプロジェクト)を退職しました。入社が2021年2月だったので、3年半勤務したことになります。これが人生最後の会社員になるので、退職エントリを書いてみました。

本記事は有料ですが、退職の経緯〜現在については無料でお読みいただけます(残り4千字が有料)。なぜ有料にしたのかについても無料の部分に書いています。


退職エントリとは?

退職エントリとは、退職に合わせて仕事の振り返りや次の進路について述べるブログ記事のことです。

IT業界ではよく見かけるネタですが、他業界ではまったく目にしません。

理由は不明ですが、日本では退職という行為がネガティブに捉えられているせいで書き手が少なく、自由な風土な企業が多いIT系の人の投稿が目立ちやすいのかもしれません。

なぜ退職エントリを書くのか?

今回の執筆に合わせて、noteで#退職エントリを読んでみました。

  • 自分の記録を残すため

  • 一緒に働いた仲間や上司、お客様に感謝を伝えるため

  • 今後の自分の営業、人脈形成に繋げるため

だいたいこの3つの動機で書かれます。

今回は2回目の退職エントリ

本記事は僕にとって2回目の退職エントリです。前職(2016~2020年)を辞めた翌日に最初の退職エントリを個人ブログで公開しました。

社名こそ明かしていないですが(以下「Z社」とする)、こんなイカつい退職エントリを書く人はなかなかいないと思います(笑)。ベンチャーの黎明期から成長期までを描いているので物語としても楽しめると思います。

普通の人なら「転職先の人事に読まれたら採用を断られるかも」「会社の恥部をさらす面倒な人と思われたらまずい」となりそうなので。

先に断っておくと、今回の退職エントリに関してはネガティブな要素はありません。事業も経営も至極真っ当で、良い人しか集まっていない素敵な職場でした。

いずれ辞めたことを後悔するかもと思うくらいです。事業の成長途中で辞めることについて申し訳ない気持ちもあり、今後何かしらの形で恩返しがしたいと考えています。

(退職する直前の投稿)

この記事の対象読者

  • 株式会社インタースペースに興味がある人←良い会社なのでおすすめ!

  • 今の仕事に悩みがある

  • 会社員でいることに不安がある人

こんな方にはお役に立てる記事になっています。後半には具体的な7つのアドバイスもあります。

株式会社インタースペースとは?

IR資料より

1999年創業、2006年に東証に上場。本社は新宿の都庁前にあります。「アクセストレード」(ASP=アフィリエイト広告の仲介)を主軸として、アジア圏にも進出し、国内ではメディア事業も大きく成長させています。河端伸一郎氏が一代で創業して、現在も代表を務めています。

僕は親会社インタースペース付で採用されましたが、入社と同時に出向として子会社の株式会社ユナイトプロジェクトの社員でもありました。僕はメインのASP事業には携わっていませんが、広告や営業などで親会社のメンバーとは交流を持つことがよくありました。

インタースペースに転職する前

僕を知らない人のためにちょっと自己紹介を。

1985年生まれ、39歳です。10代で転売業を始め、20代前半はそれに加えて弁護士の斡旋業、学習塾の運営に携わり、その後26歳で何かに目覚めて旅人になりました。
2011年、中東のイスラエルに渡り、屠殺場と国防軍で働きました(話が長いので割愛)。帰国後はまた学習塾の運営や個人事業で生計を立てていました。
2015年4月に仕事を辞めて上京。その後1年半ほど彼女の家に居候してぐうたら過ごす(ヒモ生活)。

2016年9月、知人の紹介で前職Z社(教育系ベンチャー)に入社しました。

ここから僕の会社員生活が始まります。

僕が3人目の社員で、営業マーケティング部署の最初のマネージャーを務めました。ヒモ生活1年半を経てからの初めてのサラリーマンにしては、よく働いたなと思います。4年在籍しました。まだ組織に満たないチームのフェーズから、業界一の伸長でサービスを拡大していく時期を見ました。

・・・がしかし。2020年11月、ひどい扱いを受けて(ベンチャーあるある?)、サクッと退職して一旦無職になりました。2020年12月31日までが在職だったので、大晦日はひたすら退職エントリを書きました。日付が明けて、もう関わりたくない奴らをFacebookとLINEからブロックして、前述の退職エントリを投げました。

ちなみに、この記事を見た知人から「これから転職するのは上場企業なんだから、記事を取り下げた方がいいのでは? 試用期間にクレームが入って、雇い止めになるリスクもあるよ」と親切なアドバイスをもらったこともあります。

インタースペースに転職したきっかけ

2000年11月、Z社を辞める決心をした時、実は次の進路は考えていませんでした。まずは退職が優先だったのと、過去に無職の期間は何度もあったので「まあなんとかなるだろう」くらいの感覚でした。二人目の子供が産まれた翌月にも関わらず「まあなんとかなるんじゃない?」と反対しなかった妻に感謝です。

その2年前から、ときどき飲んでいたのが後の上司となる古岡秀士さん。2020年4月、創業したユナイトプロジェクトの株式をインタースペースに売却して、子会社化になりました。いわゆるイグジットをしていました。

まとめ(時系列)

2016年9月 Z社に入社
2019年1月 古岡さんと知り合う。以後飲み仲間
2020年4月 インタースペース(IS)がユナイトプロジェクト(UP)を子会社化
2020年9月 延藤がUPの営業研修に赴く
2020年12月 Z社を退職
2021年2月 IS入社
2024年9月 IS退職

古岡秀士について語りたい!

学研創業者・古岡秀人氏の孫。古岡家は学研HDの株主でもあり、公益財団法人(古岡奨学会)を持つくらいの名家です。殿上人なみにお金持ちですが、えらぶることもなく、育ちの良さはにじみ出てきます。飲み方も潔い。ラーメン二郎を残すくらいにはタフな精神も持ち合わせています。

僕が古岡さんと知り合ったのは2019年1月。教育業界の飲み会でした。その日は大いに盛り上がって、そのまま古岡さんの自宅で泊めてもらうことに。あまりに飲みすぎて、古岡さんのトイレで盛大に吐きました。朝起きると、古岡さんは迎えが来てゴルフに出かけて行きました。「なんという肝臓をしているのか」と。それから数ヶ月に一回くらいのペースで飲んでいました。

古岡さんは持ち前の人の良さと鉄の肝臓で、未経験ながら塾・予備校業界でめきめきとサービスを拡大しました。

2019年、古参社員たちが造反を起こしたり、会社のキャッシュが底をつきそうだったり、経営者仲間に裏切られたり、ハードシングスを経験していましたが、飲んでいる時はこんな感じ(笑)

2019年ごろ

古岡さんについては、以下のインタビュー記事(2021年,2024年)を読んでみてください。

営業研修!

2020年夏〜秋、古岡さんのユナイトプロジェクト社はインタースペースの傘下に入り、体制を大きく変える頃でした。

ある日、古岡さんから「新しく加わった営業担当が塾業界に慣れていなくて苦戦してます。延藤さんに喝を入れてほしい」と相談を受けて、会社に伺いました。

いつもお世話になっているので(一緒に飲んでいて財布を出したことがない)、お返しができる良い機会だと思って、有給を使って研修に行きました。

(妻とのやりとり)

ユナイトプロジェクトはインタースペースのオフィスの一角にあります。新宿駅前のこんな立派なオフィスに入居しているのかと驚きました。

「テナント料いくらなんだろう?」

会議室もたくさんある。当時は多くの企業がテレワークに切り替え、新宿NSビル内はがらんとしていました。

新宿NSビルの中側。高層にはレストランが集まっている

この日、たまたまタイミングが会い、取締役、事業部長とご挨拶させてもらいました。お二人とも柔和で「古岡さんはいい会社にジョインしたんだな」と思いました。

営業担当Oさんの研修の様子

この営業研修は丸一日かかったけど、うまくコツを掴んでその後営業活動が改善されたと報告を受ける。この時は一緒に働くとは思っていなかったですが。

その1ヶ月半後、突如のZ社からの退職宣言

この3週間後に次女が生まれました(2020年10月)。しかし・・・

3週間弱の育休を申し出る⇒降格⇒「どういうこと? じゃあ育休を半年に延ばします」⇒詰められる(誰も止めない)⇒「こういうのが許される会社なんですね。とりあえず辞めます」と数日後に退職を申し出ました。

次の仕事を探す以前に「ここで働き続けるのは人生においてリスクが高い」と判断してのことでした。

古岡さんに「突然ですが退職しまーす笑」と報告したところ、ちょうどうちも営業メンバーを探していてという話になり、トントン拍子で仕事が決まりました。

ただし、この時は業務委託か社員採用かわからなかったので、どうなってもいいように独立の準備もしていました。

延藤の経歴がコンプラ違反になる!?

まだ転職が確定していない時期のある日。

古岡さんから親会社での採用となる話と同時に「人事部が延藤さんの国外での経歴について詳しく聞きたいと言ってます」という連絡を受ける。

それまでの人生で「人事部」と絡んだことがなかったので、何事かと思いました。

古岡さん曰く「イスラエルで人を殺したり、武力勢力に加わっていなかったか聞いておいてほしい」ということでした。

もしかしたら僕のブログを見たのかもしれません。

あるいはFacebookの過去のプロフィール(サイコパスっぽいな)を見たのかもしれません。

入社に際して、人事部からこんな確認が入るのは異例のことでしょう。

僕はありのまま「工場で豚はたくさん殺しましたが、人は殺していません。ベースキャンプでボランティア兵をしていただけです」とありのままを答えました。その後2回の面接を挟んで無事に正社員として採用が決まりました。

僕の突如の退職と、広告領域への転職が業界の一部で話題になりました。いろんな人から連絡を受けました。古岡さんに対して「引き抜きですか?」という質問も多かったらしい。実際にはこんな感じでした。


入社初日に出社停止になる

ひさびさにスーツに袖を通して、いざ出社。当時はコロナ禍真っ只中でオフィスにはほとんど人はいませんでした。この日、Oさん(前述の転職前に営業研修をしたメンバー)は体調不良でお休み。風邪とのこと。

入社日ということで、総務部・情シスの人たちから入社の注意事項を受け、社用PCの設定をしていると・・・「Oさんがコロナ陽性!」と驚愕の報告が入りました。

今でこそコロナに罹っても話題にもなりませんが、当時は世の中全体がコロナに強い恐怖心を抱いていました。即時、ユナイト部署メンバーは数日間の在宅勤務に変更になりました。僕はOさんと接触していないですが、念のためみんなで歌舞伎町のPCR検査を受けて帰路につきました。

(GoogleMapより。数年前まで街中にあったPCR検査場)

今でも忘れられない転職初日となりました。会社の業務について全く説明を受けていない段階でした。翌日からテレワークとなり、家にこもって業務フローの構築に努めました。

現在使われている営業フローはこのとき僕が作ったものなので、こうして退職を迎えた今となっては最初の2週間で大きな仕事をしたんだなと思います。

同時に、IT企業の強さを知ることもできました。人が同じ場所に集まらなくても仕事は回っていくのです。

3年半で契約教室数は2倍に

株式会社ユナイトプロジェクトは「塾シル」という学習塾の検索サイト(ポータルサイト)を運営しています。

https://jukushiru.com/

ビジネスモデルとしてはユーザー(生徒・保護者)から広告主(掲載塾)への問い合わせが発生すると、広告主から広告料をいただくという成果報酬モデルです。

成果報酬制広告の営業って、契約をもらうという点においてはさほど難しくないです。基本的に無料で掲載できるので。いわばダーツでいうと、Google広告(PPC)や記事(SEO)が"矢"で、営業のやる仕事は"的"(広告面)を増やすみたいなイメージです。

前職では営業体制を一から構築するところからスタートして、毎日電話をかけ続けてアポを取り、全国の塾や予備校を飛び回りました。「契約書をもらうまで帰りません!」という訪問販売のような営業スタイルだったので、塾シルのように定期的に商談の場を設けて提案を重ねていく(提案するネタがないときは自分で作り出す!)という法人営業のスタイルには苦手意識がありました。

そこから3年かけて、Zoomを使った今風の提案型営業(?)にも少しずつ慣れていき、営業スタイルの幅を広げることができました。

公開情報でいうと、僕が入社当時(4期目)で6,500教室⇒現在は12,500教室になりました。チームで動いているので僕の成果は一部でしかないですが、採用時の期待には応えられたかと思います。

ここからはこの3年半で気づいたことを書いていきます。

慕われる社長になる条件とは?

M&A BANKのYoutubeより

インタースペースは河端伸一郎氏が創業し、今年で26期を迎えます。上場したのは2006年なので、上場企業としての期間のほうが長い。日本のアフィリエイト広告を黎明期から支えている会社です。

僕が在籍した期間で社長批判を一度も聞かなかったことは本当に驚きです。これってすごくないですか? 

これまでいろんな経営者に会ってきて、一定の規模以上の会社を作った人はサイコパス度が高いです。対外的には柔らかくても、社内でパワハラが絶えない、酒の飲み方が汚い、女にだらしがない人も多い。総じて自己顕示欲が強い。

河端社長はそもそも出たがりではない。この一年は子会社のユナイトプロジェクトの執務スペースにもよくいらっしゃって、社員が帰った後も残って仕事をする。専門外の教育業界についても日々情報をキャッチアップされている。自分で生のデータを見て(数字に強い)、常に事業や顧客の動向の把握に努めている。

Yes/Noがはっきりしてロジカルなので僕はすごく仕事がしやすかったです。
株式の持分は公開されているので計算すると、すごいお金持ちですが、近所のドトールでコーヒーを啜りながら仕事の情報収集をし、昼はビルのベンチで弁当を食べていたりする。

世相に合わせてホワイトにしているが実は創業時はヤバい人だった・・・なんてこともありません。昔からいる社員に聞いても「もともとあんな感じ」と口を揃えて言います。

上場を経験し、たくさんの新事業、海外事業まで展開しているのでいわゆるハードシングスはたくさん経験していながら、「俺が創業した当時は〜」なんて自慢話はない。

「この人の仕事のモチベーションはどこにあるんだろう」といまだに思います。

これまで会った経営者の中でダントツで尊敬できる方です。河端社長の近くで仕事をする機会を得られたことは、僕のビジネス経験の中で貴重な財産となっています。

Zoomで見えてきた新しい営業スタイル

前職では中小の企業向けサービスを提供していて、決済権者と会いやすいビジネスだったので即決営業を重視していました。しかし、2020年4月のコロナ禍により新たな営業手法への転換を迫られました。

あの手この手の交渉術で契約を獲得するという手法がZoomでは通用しなくなります。顧客は「その場で判断しなくていい」となりやすく、やる/やらないの意思を保留しやすい。

相手(営業マン)が実際に目の前にいるわけでもわざわざ訪問を受けたわけでもないので、退出ボタンを押すだけで相手を視界から消し去ることができます。

なので商談単体の成約率でいうと、圧倒的に訪問営業の方が高いです。

それでもZoom商談には明確なメリットがあります。

  • より多くの商談機会の獲得

  • 効率的な資料共有と説明

  • 商談内容の録画による振り返り・社内共有

移動時間からの解放、ステップの可視化

何より遠方の営業に困ることがなくなりました。以前は会うためだけにわざわざ片道数時間をかけて現地に行って1時間話してまた戻るということが普通でした。往復の移動中も小さなノートPCの1画面で作業するしかなかったので、極めて非効率的だったと思います。

中には「暇だし来てくれるなら来訪を受けた」という人もいます。僕の感覚だと「資料を一通り見た上で、相手に来てもらう以上はやるかやらないの判断をすべき」ですが、相手のコスト意識を考えない人はいます。

これがオンライン商談であれば、フィルタリングを効かせることができます。

相手の表情を見て温度感を確かめつつ、直接会って話をするべきか、次の提案はどうするかの検討することができます。「予算も決めてない、ちょっと話だけ聞きたい」程度の相手なら30分未満で見定めて、それ以上追いかけないという判断もできます。

オンライン商談であれば顧客と終話の挨拶をして、URLを切り替えるだけで次の商談に入ることができます。最初のアポを取る・成約を取ることだけが営業の仕事ではないので、長期的に顧客とやりとりすることを目的とするならZoom営業のスキルを持っておくのは営業として必須になっています。

営業マンの活動にメスが入った

時間を潰すために遠方のアポを取ってそれで1日を潰す、みたいなことをやる営業マンはどこの会社にもいます。しかし、Zoom利用が前提になると、しっかりアポ本数を固めて、1日に何件も商談することになります。録画を求めらえることもあります。

営業の貢献度がよりわかりやすい。サボりにくくなるという点でもZoom営業にはメリットが大きいです。

結局オンラインでも対面営業でも、確度を見ながら情報を調整する、数をこなすことがトータルの成果につながることは間違いないのです。

社内会議は対面の方がいいかも?

一方で、すべてがZoom会議でいいかというと、そうではないなと気づきもありました。コロナ禍にテレワークを導入する企業が増えたため、その流れで現在も社内会議をZoomでやる企業は多いです。

実はZoomオンリーだと細かいニュアンスが伝わらないことがあります。あとはオンラインでは発言者が常に1名に限定的なので、発言力のある強い人の横綱相撲になりやすい。ある程度、割り込む姿勢でいかないと自分の発言の機会が得にくいという点はあります。Zoomミーティングになると、控えめな性格のメンバーの声は埋もれやすいと思います。

また、いわゆる「社内営業」(メンバー間への根回しなど)もリアルの方が断然いいです。最近はテレワークを廃止、減少させる動きも増えてきていますが、多くの企業がオンライン会議に依存してチーム力の低下に気づけなかったのだと思います。

今回僕はフリーランスになったので自宅で作業することが増えますが、まとまった仕事を受けている企業にはリアルに会いに行く方がいいなと思いました。

退職を決意する明確な理由はありません

ここまではこの3年半の振り返りをしました。
ここからは退職に至った経緯・理由について話をします。

多くの人は会社の条件や人間関係に不満があって転職したり、何かやりたいことがあって独立すると思います。今回僕が退職した理由は漠然としています。

退職エントリとして文章で表現する以上、できる限り誠意を持ってクリアに書くことを心がけていますが、これが決定打になったというものはありません。

たぶんこの後の話を読んでも理解できない人も多いと思う。僕もちゃんとわかっていないけど、何かを変えなくては行けなくてはいけない気がしました。

まさにこれ

理由とした浮かぶものはすべて39歳という年齢に立脚している気はします。おそらく数年後に「あの時は何を焦っていたんだろう?」と気づくこともあるのではないかと思います。

40代以降の人生について計画を立てる必要ができた

一般的に39歳がどういう意味を持つのかはわかりません。あまり意味がないという人もいるし、いやいや大アリですよと言う人もいるかもしれません。

断っておくと、僕は30代を迎えるつもりはありませんでした。
(過去記事『自分からプロボーズしなかった男が結婚から学んだこと』にも書いた)

10,20代は必死で生きていたし、これが30代も続くなんてしんどいなと思っていました。しかし、あっさり30代を迎えてしまった。30歳の誕生日を迎えた時、僕は仕事を持たず東京に出てきたばかり。ゼロからスタートしました。

そこから初めて会社勤めをする、家族を持つ、趣味を持つという大きなイベントを経験しました。

自分で一定のコントロールはできているし、他人に流されたり無駄に我慢したことは一度もありません。いわゆる「自分の人生を生きる(live my life)」は表面的にはできています。人によっては羨ましいと思う方もいるかもしれませんし、そう言われたことも何度もあります。

しかし、その時々の刹那的な判断でやってきただけにすぎないとも思っています。

僕にとっての39歳

今年僕はまたひとつ歳をとり、39歳になりました。

父が死んだ年齢に早くも達してしまいました。父は小さい会社を残しました。死後に会社を継ぐ人が出て、権利的な収入で我が家はなんとか生き延びることができました(当時母は無職だったし、火事で自宅が焼失して大変だった)。

このことは2年前、noteを始めた頃に書きました。

その中で「あと2年で死ぬなら何を残せるだのだろうか?」と考えました。

この2年で思い出はいくつもできたし、多少資産も増えました。しかし、人生において何か残すべきなのか、成すべきなのかについての答えは見つかっていません。同じような日々を過ごしているうちに気づいたら39歳になったしまったというのが本音です。

半年前に死んだ親友

僕があらためて生き方を考えるようになったきっかけの一つは、30年来の親友が亡くなったことです。

これも記事に書きました。

彼が急死する1ヶ月に偶然会うことができました。運が良かった。

ふり返ると、僕の親族も友人も先輩もみんな早くに亡くなりました。

僕の死生観に影響を与えた先輩の話

また元同僚(会社員になって初めて&唯一の同期)が脳梗塞で倒れて現在も普通の生活に戻れていません。

彼については本記事の一番最後に書きます。

僕もいつ死んでもおかしくないな、とよく浮かびます。40歳といえば人生の後半の入口と言われていますが、僕には晩年期かも知れない。どちらにせよ、ドラスティックに生活を変えていく必要がありました。

どう変えるかはまだ決まっていないのですが「会社員」という形は合っていないように思えてきました。

会社に退職を伝えて間もなくこんな記事を書きました。

辞めた理由2:スキルの習得が追いついていない

とはいえ、あと数年だろうが数十年だろうが、生き延びる可能性も考慮しなくてはなりません。生きる上ではスキルは必要です。これまで目を逸らしてきたことについてあらためて向き合うことになります。

スキルは2つに分かれる

  • コーポレートスキル:企業内で必要とされるスキル(例:社内ツールの熟知、コーチング、マネジメント、組織人としての振る舞い)

  • テクニカルスキル:どこでも通用する汎用的なスキル(例:デザイン、データ分析、生成AIの活用)

これらのスキルは明確に学べる場所が分かれているわけではありません。たとえばデザイン会社にいれば通常業務で専門的なデザインを学ぶことができます。マーケティングであれば自社サイトの改善のためにデータ分析を学ぶこともあります。

どちらも必要なスキルですが、大事なことは「いま自分に必要なのはどちらか?」です。両方を同時に鍛えていくのは茨の道です。その時々でウエイトを変えていく必要があります。

たとえば「組織・チームとして戦いたい、独立して組織を作りたい」場合にはコーポレートスキルを重視して学ぶべきですし、逆に「個人で戦いつつ、いろんなところに首を突っ込みたい」と考える人はテクニカルスキルが必要です。

独立して失敗する人は営業力が足りていない

ちなみに会社で専門職的な人(例えばデザイナー、ライター)が独立してよく失敗するのを見てきましたが、失敗の理由は営業力が足りてないからです。いくら専門的なスキルがあっても、顧客を見つけないといけませんし、顧客が納得して対価を払うように見せ方を工夫する必要があります。

また、独立したての個人で作れる商品・サービスは企業のものに比べると見劣りするので、売り込みのスキルも必要になります。

僕は営業力はあるので、当面自分に必要となるのはテクニカルスキルと考えました。

会社で学べるスキルはたくさんあるけれど、完全に自由に学べるわけではありません。自分で勉強をしなければなりません。そうなると1日8~10時間の業務時間以外で学ぶ必要がありますが、明らかに時間が足りなくなります。

家族や趣味の時間も大切にしたいので、十分な時間は取れていませんでした。いま必要なのは安定的な収入ではなく、①知識とスキルを習得する時間、②それらを自由にアウトプットする場所、の2つだと痛感しました。

僕が敬愛するけんすうさんのnoteにもこんな記述がありました。

以下の記事から引用

辞めた理由3:デジタルマーケティングにシフトしたい

僕はセールス(営業)が得意です。1対1または、複数人を集めて売りたいものを買ってもらう。20代からしっかりやってきて、会社員になってからも十分なスキルを身につけました。

最後の後押しをするという「購入のラスト1マイル」をつなぐことにおいては上位層にいると思います。ライティングも得意で、LPなどで商品の魅力を伝えて購入してもらうスキルも身につけています。

では、広義のマーケティングは? というと、実はそこまで強くありません。

  • 全体的な設計の中で最適化する

  • データベース型サイトのSEO

  • 自動化に頼らないWEB広告

  • 自社&顧客にまつわる複数のデータを操り適切な場所に人を連れて来る

  • 統計データを用いて商品の改善の提案をする

そういうスキルには長けていません。そんな時にこんな本を読みました。

河端伸一郎社長が全社に向けた報告会で勧めていた本です。その場で注文して、すぐに読み込みました。

衝撃を受けました。一休.comでは社長榊淳氏がデータサイエンティストとして顧客の分析に取り組んでいます。顧客がどんな動きをして、ニーズも変化までもデータでできる限り吸い上げ、施策に反映する。一休.comの利益率は驚異の50%超えです。

自分もデータサイエンスの分野を勉強したいと考えるようになりました。

いずれ生成AIがこの分野を牛耳ることは容易に想像できます。

文章が書けない人がAIで作成した文章は直せません。コードを知らない人がノーコードツールで出したプログラムを修正・改善できません。同じようにロジックや仕組みを知らないままAIの分析ツールを使っても十全に戦うことはできません。

昨年の生成AIの普及には驚きましたが、今年も進化しつづけChatGPT-4oあたりから「このままでは絶対に追いつけない」と確信しました。やはり僕に必要なのは学習の期間だと判断しました。具体的には2,000時間ほどの学習時間があれば、マーケティングの第一線(の末席)で戦えると考えています。

インタースペースはジョブチャレ(社内転職制度)もあり、手順を踏めばマーケ分野への転籍もできます。インスペに興味がある人はぜひ覚えておいてください。人事部の人が親身に相談に乗ってくれます。

ちなみに僕の場合、40代の普通の社員が自分の思いつきを実行したくなり、新しいことを学ぶために会社に機会を提供してもらう(しかも給与が発生する)のは迷惑がかかるなと思いました。別の企業に転職して得られるものでもないし、インタースペース以上の会社はまず見つからないだろうとも思いました。独学で進めていくしかありません。

以上、3つの点から今回の退職の理由を書いてみました。

これを読んで、「何が言いたいのかわからない」という人もいれば、「いやいや、みんな40歳くらいは焦るもんだよ。普通普通」という人もいるかもしれませんが。

営業を中心とするキャリアとは?

40代以降の営業マンが歩む道は、実はシンプルです。

  • 高単価商品のトップ営業(プレーヤー)として活躍する

  • 部下を率いて営業部のマネージャーになる

他の職種に比べるとこれ以外にありません。40代以降も営業を続けていくのか?となると、僕はまったくイメージがわかなくなっていました。

データ活用が広がっていく中で、営業としての泥臭さ・勘や人脈形成よりも、データ分析×専門分野のアップデートをする方が重要な気がしています。
(エクセルやBIツールと日々格闘しないといけないので泥臭さから逃れられないことは承知の上です)

データ解析とAIを使うスキルを高まれば、無用な闘いから降りられるのではないかとも考えています。

退職を決意した日

39歳の誕生日(5月)が近づき、もやもやと自分の中で40代以降の生き方や課題が浮き彫りになった頃、以前働いていたZ社が上場するというニュースが耳に入ってきました。

上場は5月28日で、6月5日には教育業界の大きなセミナーがありました。その基調講演としてZ社社長の登壇がありました。もともと参加する予定だったので、会場に足を運びました。

4年ぶりに聴く元上司のプレゼン。さすがのトーク力

僕が辞めるきっかけになったZ社の社員たちも会場にいて、目が合わないようにしつつも、いるはずのない元同僚のMくん(後述)を無意識に探してしまって少し悲しい気持ちになりました。

公募金額や事業ポートフォリオから見て、上場を目指した理由・メリットは最後までわからなかったけれど、長年の目標を果たすのは本当にすごいなと思いました。

ふと「最近自分は何かを達成しているか?」と自問しました。趣味の柔術では毎日挑戦しています。同じ熱量で仕事ができているかというと、そこまでできていません。

翌日に退職の意向を伝える

帰りに柔術ジムで練習して、帰宅してシャワーを浴びた。コーヒーを飲んで落ち着かせた。それから妻に明日会社に退職を申し出ると切り出しました。

「1、2年は所得が落ちるかもしれないけど、何とかなると思う」

この時はまだ2つの住宅のローン(二重ローン)で会社の給与分が飛ぶくらいの支払いがあり多少の不安はありました。それでも失敗したら住宅に抵当を増すなり売るなりして食い繋ぐことはできるとも考えました。

何よりここは日本です。生活保護もある。この国で食いっぱぐれなんて起こらないのです

その段になったら妻からは離婚を申し出されそうだけど笑

もし起業に失敗したらまたどこかに勤めればいいとも思いました。

翌日6/6、事業部長に「今期(9月末)で退職させてください」と申し出ました。事業に影響が出ないように4ヶ月間しっかり時間をかけて引き継ぎをすれば大して迷惑にはならないだろうとも思いました。

「福利厚生もしっかりしていて、社長・上司、仲間もみんな信頼できる人たちです。ここにいても不自由はない。趣味もあり、生活は充実している」

何だかもったいない気がする(やめた今も同感)。でも僕に必要なのは新しい領域に踏み出す勇気なのだと思いました。

「ここでやめなかったら後悔する」とは思いませんでした。そこまで強い意志はないです。

わからないなら、飛び込もう。転ぶなら前向きに転ける。失敗したらその時に考えればいい。

退職を伝えてからの日々

退職を申し出てからの3ヶ月半、以前よりも集中して仕事をしました。柔術の試合に出るのもやめて、無駄な余暇は取らず土日も使いながらしっかり仕事をこなしました。

どうせ独立してもすぐ仕事なんて来ないだろうから(笑)、有給消化も必要ないだろうと多くの休みを残し、そのまま仕事に使いました。それでも足りなかった部分はありますが、しっかり仕事は納めたかなと自負はあります。

8年ぶりの無所属

10/1を迎え、僕は会社員ではなくなりました。特に感慨深くもなく、役所に社会保険の切り替えの手続きに行き、あとは家で仕事と勉強をしています。デスクの前で10時間以上すわる地味な日々が続いています。

辞意を伝えた時に塾シルから業務委託として仕事をいただくことになりました。そのほか知人経由で営業・集客の支援の案件をいただきました。今は学習に集中したいので半分以上は保留にしていますが、スキルがついて商品サービスも構築できたら、もっと多くの人・法人に貢献したいと思います。

当面収入は下がりますが、何のために会社員をやめたのかについては常に頭に入れておきたいと思います。

以上で僕の退職にまつわるエピソードは終わりです。お読みいただきありがとうございます。


ここからは有料部分として、30代で初めてサラリーマンになった僕が学んだこと、かついま会社員として悩みを抱えている方へのアドバイスを書きます。

  • ①営業として飲み会に顔を出し続けること

  • ②会社員として絶対に覚えておいて欲しいこと

さらに

  • ③人生で初めて同僚となったMくんとの思い出

について書いています。

彼は昨年病に倒れて今も復帰できていないと聞きます。ご家族の連絡先をご存知の方はXからDMでご連絡ください。本記事の売上は彼のご家族に寄付します。

ここから先は

4,010字 / 4画像

¥ 500

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらチップで応援してみませんか?