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第8回:スクラップ&ビルドの街から1 アイルランドの石積み(湯澤規子)
人文地理学者の湯澤規子さんと景観工学者の真田純子さんの、「食 × 農 × 景観」をめぐるおいしい往復書簡。湯澤さんからの返信は、リヨンに続き調査で訪れたアイルランドの石積みから、身近な暮らしを少し心地よくする「土木」について考えます。
渋谷とアイルランドに流れる「時間」の違い
夏休みの海外調査から帰ってきて、あわただしい日本の日常に戻り、早1カ月がたちました。秋学期も始まりましたね(※)。
(※)手紙の執筆時は10月初旬。
イタリアからのお便り、ありがとうございました。なるほど、旅先で絵本を手に入れるというのはいいですね。いつか、真田さんと絵本を作ってみたいという気持ちになりました。私は旅先に葉書と絵具を持参して、調査の様子や風景を描いて送るのが趣味です。現地で切手を手に入れて、その地域の水で貼るということだけでも、何だか楽しい気がするのです。学生時代はスイスの氷河で切手を濡らし、祖母に「氷河をお届けします」という絵葉書を送ったことがあります。
さて、今日はスクラップ&ビルドの街、渋谷からお便りします。それにしてもここは常時、駅の中も外も何かが変わっている場所です。まるで時計の針が早めに動いているようで、人の足取りもあわただしく、ミヒャエル・エンデの『モモ』の時間泥棒が登場する一場面を思い出してしまいます。時間の流れ方は物理的には同じはずなのに、心理的にはこうも違うのか、と思うことしきり。夏に歩いたリヨンやアイルランド近郊の農村の風景を思い浮かべると、なおさらそういう気持ちが強くなります。
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石積みにあらわれる「表情」について
前回(連載第2〜4回)、真田さんにリヨンからお便りした後、国際学会に参加するため、アイルランド航空エア・リンガスの小さな飛行機に乗り、ダブリンに足を延ばしました。学会を終えた後は研究仲間とレンタカーを借りて、2日ほどダブリン近郊のウィックローという地域へ。農村地域でフィールドワークをするためです。そこで沢山の石積みの風景に出会い、これは真田さんに見せなければと、あちこちでしゃがみこんで写真を撮りました。真田さんと話し始めたことで、「石積み」という新たなアンテナが私の中に生まれ、風景を見る目が変わりました。
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人の手で積むことによってできる構造物だけあって、「しゃがむ」目線から見ると石積みの巧みさや工夫、愛嬌などが見えてくるものですね。コンクリートの構造物ではしゃがんでも立っても見え方にそれほど大きな違いはありませんが、石積みは見る姿勢、角度、季節や時間帯、それに伴う日の当たり方などによって刻々と表情が変わるので、そこも面白く、魅力的。今回は眺めて撮影するだけだったので、いつか実際に自分の手で石を積んでみたいです。
真田さんからのイタリア便りを読んだ時に、きっと積む人の手によっても、石積みは様々な表情を見せるのだろうと想像しました。クロッポマルチョ集落の原っぱの段差を補強する石積みは、写真を見ると一つとして同じ石はなく(当たり前ですね、自然が造形した石なので!)、個性を組み合わせた結晶が巨大な擁壁を作り上げていることに胸が熱くなったのでした。というのも、私が研究していた結城紬という伝統織物も、糸取り、染め、織りのすべてが手作業であるために、個々の素材の個性に無駄なものはなく、太い糸は帯に、強くて均一な糸は縦糸に、節のある糸は紬に表情をもたらしている、という世界だったからです。どこに何を組み合わせて使うか、そこが人の手と知恵の力の見せどころなのです。「規格外」が出ない世界の存在を知り、自分自身の個性が許されたようで、嬉しかったものです。石積みの世界もそれに近いような気がしています。
アイルランドで「手入れ」されていた石積み
せっかくなので、アイルランドで見た石積みの報告を少ししますね。
アイルランドの北部、海沿いの地域では石積みの間に海藻を間に挟んでいるそうです。強い寒風吹きすさぶ北アイルランドの土地で安定した石積みを作るために糊の役割を果たすのでしょうか。日本で海藻を採る海女さんたちの調査をした時に、かつては建材として、漆喰に混ぜる糊として海藻の需要があったと聞いたことを思い出しました。この石積みは仲間が撮影してみせてくれたのですが、牛を粗放的に放牧する時の囲いの役割を果たしていました。アイルランドの西に浮かぶ群島「アラン島」はアラン編みセーターで有名ですが、ここは石積みと船と畑の島なのだとか。石積みが作り出す独特の景観を味わいに、いつか行ってみたいですね。
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アイルランドの南部、ウィックローでは借りたコテージの周りがぐるりと石積みで囲われていました。平たい石を交互に並べると、こんな造形になるんだとひとしきり眺めて楽しみました。これは真田さんが学生たちとイタリアで作り上げた「平積み」に近いものでしょうか。ほかにも、縦横、大小を組み合わせて独特なデザインを作っていたり、石積みのてっぺんをギザギザの石でアクセントをつけたり、様々なものがありました。作りかけの石積みにも出会えて、なるほど、こうやって積んでいるんだということを知る機会もあり、興味は深まるばかり。
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それから、偶然の幸運な出会いがありました。近所を散歩していた時に、石積みを直している女性に出会ったのです。話を聞いてみると「実家を引き継いだんだけど、自分で手入れしてみようかと、挑戦しているところなの」という返事が返ってきました。
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日本でも空き家やその相続が話題になっていることもあり、国が違っても似たような状況があることに親近感を覚える一方、手入れをして使おうという傾向が少ない日本の現状を考えてしまいました。挑戦してみようと石積みに向き合っている人がいる風景はちょっと感慨深いものでした。私は「手入れ」という言葉が好きなのですが、まさに石積みは「手入れ」の世界だと思います。私たちは土木の世界を専門的なものだと思いがちですが、身近な暮らしを少し心地よくするための工夫も土木だとすれば、それは私たちの手が成しうる等身大の技術なのだと気づかされます。
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第9回:スクラップ&ビルドの街から2 『モモ』のいた時間(湯澤規子)
プロフィール
◆湯澤規子(ゆざわ・のりこ)
1974年大阪府生まれ。法政大学人間環境学部教授。博士(文学)。「生きる」をテーマに地理学、歴史学、経済学の視点から、当たり前の日常を問い直すフィールドワーカー。編著書に『食べものがたりのすすめ―「食」から広がるワークショップ入門』、絵本シリーズ『うんこでつながる世界とわたし』(ともに農文協)など、「食べる」と「出す」をつなぐ思索と活動を展開中。
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『食べものがたりのすすめ 「食」から広がるワークショップ入門』
湯澤規子 著
定価 1,540円 (税込)
判型/頁数 四六 176ページ
ISBNコード 978-4540212208
購入はこちら https://shop.ruralnet.or.jp/b_no=01_54021220/