
第13回:思考の基盤を支える「グリ石」の置き方(湯澤規子)
人文地理学者の湯澤規子さんと景観工学者の真田純子さんの、「食×農×景観」をめぐるおいしい往復書簡。冬のイタリア・ラブロで学んでいた真田さん、バックパッカーでヨーロッパを放浪した湯澤さん、1974年生まれの二人がたどってきた道を、2024年末に振り返ります。
20代の二人がヨーロッパで学んだこと
こんばんは。このメールを書いているのは年の瀬押し迫る12月下旬です。このところ急に寒くなってきました。そんな状況の中、冬のイタリアで「体の半分を暖炉に入れて夜を過ごす」とはどのような様子なのだろうと、想像しながらお便りを読みました。考えているうちに、私も横になって、あぁでもない、こうでもないと、暖炉の近くでウロウロしている錯覚におちいり、楽しい時間を過ごしました。遅れていても、小さくても魅力的なラブロで嬉々として洗濯物を干している20代の頃の真田さんが目に浮かびます。
思い返すと真田さんがイタリアで過ごしていたちょうどその頃、私は親友とバックパックを背負ってヨーロッパを放浪していたのでした。小さなとんかつ屋でアルバイトしてやっと貯めた旅行費用は当時の私にとっては大金でしたが、実際にはそんなに潤沢ではなかったので、トータルで17日間ほどの短い旅をするのがやっと。イタリアのフィレンツェのユースホステルにも泊まったので、広い地球の膨大な時間の一座標で、もしかしたら真田さんとすれ違っていたかもしれません。バス停でバスを待っている時にフィレンツェで美術修復を学んでいるという日本人女性に出会って、「異国で学ぶ」ということへの憧れと尊敬の念を抱いたことを思い出します。

「グリ石=思考の置き方」に共通点を見る
フィレンツェに着いた日の夜は満月でした。ユースホステルの辛子色の壁と緩やかにカーブした窓辺の鉄製の柵、オリーブの木がなんとも美しい景観を生み出している中庭に出て、石壁にもたれて路地のお惣菜屋で買ってきたおかずを頬張り、日本では感じたことのない味、そして景観の色や形の感覚を楽しみました。


私は地理学、親友は建築学を専攻していて、お互い行きたいところをピックアップして旅程を検討していくと、全く新しい視点が新鮮で驚き合う一方、思いがけず行きたいところのマニアックさなどで気が合ったりして面白かったです。今、真田さんと話していても同じ感覚を覚えるのですが、「人間が地表に働きかける行為を考える」という根っこの部分が共通しているからかもしれませんね。思考の基盤を支える「グリ石」の置き方が似ているという感じでしょうか(笑)。
ロスジェネ世代とはよばせない!?
前回(第12回)の真田さんのお手紙を読んで、1974年生まれのライフヒストリーの共通点についてあらためて考えさせられました。
GDPの成長率がマイナス転換した年に生まれたというのは宿命というべきか、何とも印象的な人生のスタートです。子ども時代にバブルがはじけたために、大人になって主体的にお金を使う頃には好景気の恩恵とは無縁であった、だから独特の価値観を携えて生きてきたところがある、というのも腑に落ちる発見でした。ないものねだりをあまりしない物欲のなさは、じつは生きていく上では強みなのかも、とも思えたり。
そんな私たちもいつの間にか半世紀を生きてきたことになり、そろそろその歩みを歴史として説明しうる時期にもなっているのだとすれば、低成長期だからこそ育まれた感性や生きる構え、何かを選ぶ時の価値観とはいったいどのようなものだったのか、一度真剣に考えてみてもよいかもしれませんね。ロスト・ジェネレーションとして片付けられてはたまったものではない、という憤りも込めて(笑)。というのも、真田さんの著著『風景をつくるごはん』の重要な論点は、私たちの食選択が風景をつくっていくという主張だからです。何を大切だと考え、何を選ぶのか。その判断基準にはパーソナルな用件ばかりでなく、時代が刻印されているのだと、最近そんなことを考えます。
プロフィール
◆湯澤規子(ゆざわ・のりこ)
1974年大阪府生まれ。法政大学人間環境学部教授。博士(文学)。「生きる」をテーマに地理学、歴史学、経済学の視点から、当たり前の日常を問い直すフィールドワーカー。編著書に『食べものがたりのすすめ―「食」から広がるワークショップ入門』、絵本シリーズ『うんこでつながる世界とわたし』(ともに農文協)など、「食べる」と「出す」をつなぐ思索と活動を展開中。

『食べものがたりのすすめ 「食」から広がるワークショップ入門』
湯澤規子 著
定価 1,540円 (税込)
判型/頁数 四六 176ページ
ISBNコード 978-454021220-8
購入はこちら https://shop.ruralnet.or.jp/b_no=01_54021220/