第1回「能登はやさしや」を体現する人たち——編集担当から
2024年12月12日に発売予定の『能登のムラは死なない』。その著者である藤井満(ふじい・みつる)さんに、本書ができるまでの背景を、このあと5回にわたってnote記事でお届けします(第2~6回)。第1回では編集担当より、著者のこと、本のことを紹介します。
著者の藤井満さんのこと
藤井さんは、葛飾区生まれの埼玉育ち。京都大学でもっとも「変態」といわれたアウトドアサークルでの青春を描いた『京都大学ボヘミアン物語』(2024年、あっぷる出版社)や、妻のがんが発覚し鬼コーチ(=妻)の料理特訓を受けた日々の記録『僕のコーチはがんの妻』(2020年、KADOKAWA)、奥能登の農山漁村集落をたずねまわった『能登の里人ものがたり』(2015年、アットワークス)など、多くの作品を執筆されています。
そして最新作となる本書は、朝日新聞輪島支局時代の連載「能登の風」を土台に、2011から2015年の能登半島と、2024年の能登半島地震後のムラを丹念にあるき、そこに暮らす人々の姿をまとめたものです。
静岡・愛媛・京都・大阪・島根・石川・和歌山・富山と日本各地を赴任した藤井さんですが、輪島支局に異動が決まったときは「輪島は大阪本社では最辺境の勤務地や。海外特派員みたいに自由やで!」と喜んだのだとか。それは左遷だったのか、まごうかたなき自由を得たのか…このあとのnote記事を読んでいただければと思います。
本の内容のこと
本書は5章構成になっています。
「能登はやさしや土までも※」を体現する人たちの暮らしから、能登半島がつみかさねてきた風土が丸ごと伝わる内容になっています。
※元禄9(1696年)に加賀藩士の浅加久敬が『三日月の日記』の中で、能登について書き記したとされる。能登では人だけではなく風土までも優しいの意
「能登はやさしや」を自分ごととして考える
本書の原稿を脱稿した直後の9月、能登半島を豪雨が襲います。翌月10月には藤井さんに急遽、現地取材いただき「あとがきのあと——8カ月後の豪雨が残したもの」として最後に収録しています。
ただし本書は、能登半島地震や豪雨と、そこからの復興だけに焦点をあてた本ではありません。
そもそも能登では、自分が死んだあとの世代の幸せまで「自分ごと」と考える感性が、あたりまえのように息づいている、と藤井さんはいいます。
それは「みんなで仲良く美しい里をつくり、まちにでた子が『すばらしい故郷だ』って自慢できて、帰ってきたらゆっくり休める場にしていきたい」
と、地元にたった3個の球根を植え、30年後には毎年春に数万輪の水仙が開花する「桃源郷」をつくりあげた大西山集落のように。
こうして築いてきた穏やかな暮らしが、突然の災害で根こそぎ奪われる無念さ、でもどんな逆境のもとでも日々の生活は続く…これは、これからの日本全国どこでも(ムラといわず、大都市でも)起こりうることだと、考えています。
その時に、心折れずにしなやかに、生きのびることはできるのだろうか。そのひとつのヒントが「能登はやさしや土までも」というコトバだと思います。
ぜひ本書で「やさしや」を体現する能登の人々に出逢っていただきたいです。
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このあと、著者の藤井さんによる自著解説を5回にわたってお届けします。
note記事から読みはじめた人は本書が読みたくなり、すでに読まれた方は本書の背景を知って再度読み返さずにはいられない、そんな「ふくらみ」を感じられる内容になっています。引き続きお楽しみください。
(編集担当:阿久津)
プロフィール
◆藤井 満(ふじい・みつる)
1966年、東京都葛飾区生まれ。1990年朝日新聞に入社。静岡・愛媛・京都・大阪・島根・石川・和歌山・富山に勤務し、2020年1月に退社。2011年から2015年まで朝日新聞輪島支局に駐在。奥能登の農山漁村集落をたずねてまわり、『能登の里人ものがたり』(2015年、アットワークス)、『北陸の海辺自転車紀行』(2016年、あっぷる出版社)を出版。そのほか単著に『石鎚を守った男』(2006年、創風社出版)、『僕のコーチはがんの妻』(2020年、KADOKAWA)、『京都大学ボヘミアン物語』(2024年、あっぷる出版社)などがある。