第11回:石積みとイタリアの田舎の話2 石積みから「多様性」を考える(真田純子)
人文地理学者の湯澤規子さんと景観工学者の真田純子さんの、「食 × 農 × 景観」をめぐるおいしい往復書簡。石積みをすることは「その土地に自分を埋め込むような体験」だという、真田さん。石積みの楽しさを、見ること・積むことから深掘りします。
積むのも見るのも楽しい「石積み甲子園」
石積みを見るのも面白いですが、石を積んでいるところを見るのも面白いというのが、最近分かってきました。2023年から高校生を対象に「石積み甲子園」というのを開催しています。何年も構想していたのを、やっと形にしたものです。若い人に技術を継承するだけでなく、競争のために高校生が練習することによって、各地の石積みが修復されていくということにも期待しています。
それに加えて、応援する人にも石積みを見る目が育ってくるだろうということも意図しています。正しい技術を継承するためには、やる人だけでなく「やらないけど分かる人」という裾野を広げていく必要があると思うのです。
しかしそうは言っても、石積みをしているところを見るのを楽しんでもらえるのか?というのが当初の懸念事項でした。2023年、2024年と石積み甲子園を開催してみて、それは杞憂だったことが分かりました。石積みの積み方を良く知らない人でも積んでいるところを見るのは楽しいみたいで、大会の終盤にもなると、観客の人たちは固唾を飲んで高校生たちを見守っている状況になります。初めてその状況を見たときは感動しました。競技としての石積みと、それの観戦、どちらもこれから広めていきたいです。
すべての石には役割がある
石積みは、もちろん積むのも楽しいです。石積みの楽しさは、その土地と自分との一体感かなと思います。なんだかそう言葉にしてしまうと陳腐ですね。よく「石積みをするにはどんな種類の石がいいんですか?」と聞かれることがあるのですが、初めてこれを聞かれたときには少し驚いてしまいました。というのも、私は修復をメインでやっていて、その場に積んである石をもう一度使うだけなので、石の種類を選ぶという発想が無かったからです。土地がまずあって、そこに自分が合わせる。かといって、土地の言いなりなわけではなく、やはり積むという能動的な作業、土地への介入はするわけです。でも「立派な」石を外から持ってくるわけではなく、あくまでも「その土地に与えられた石」を使うのです。そのあたりの土地と自我の融合が面白いところです。
積む作業でもそれは同じで、あまり石は整形せず、すでにある石の形をそのままに使うことが多いです。たしかに、積みやすい石と積みにくい石はありますが、多少積みにくい石でも、石がはまるV字の空間をつくればだいたい積めます。どうしても積めないような石も、裏のグリ石(※)として使えます。すべての石に役割があるんですね。
(※)積み石の後ろに入れる小さめの石のこと。石積みの傾きの調整や積み石を固定したり、土の水はけ(排水)をよくしたりする役割がある
良さそうな石ばかりだと積みにくい
これに関連して、興味深いことがありました。乃木坂駅の近くにある「ギャラリー間」で展示用の石積みをつくったとき、依頼してくれた東京科学大学の塚本由晴研究室の人たちが石を用意してくれました。千葉にある彼らの拠点の近くの石材屋さんで、良さそうなのを選んできてくれたのですが、積み始めると、なんとも積みにくいのです。「もっと細いのがあったらいいのに」、「クサビみたいなのが欲しい」など言いながら積んだのですが、最終的に「(石の)選手の層が薄いのが問題なんだね」とみんなで納得しました。良さそうな石ばかりだと積みにくい、多様な石があってこそ積める、というのはなかなか面白い発見でした。
湯澤さんが、結城紬も手作業で作られる素材にはばらつきがあるけれども、それぞれの個性を生かして使用し、節も表情になる「規格外」が出ない世界だと書かれていましたが、石積みの世界もまさにそうだなと思います。
もう少し石積みの楽しさについて話をすると、石積みを修復するとき、たまに前とは違うように積むことがあります。この間も、石積みの上が通路になっているところで、通路が斜めになっていて歩きにくいので直してほしいと言われました。そこで、もともとの石積みより高くして、通路を平らにし歩きやすくしました。また、通路の下の擁壁がくの字に曲がっていてそこから崩れやすくなっていたので、緩いカーブに作り直しました。こうして、積み直しの際に、その場所を改良することもよくあります。その土地を使っている人が困っている問題を解決できて嬉しいのと同時に、昔の人が少しずつ改良しながらつくってきた場所の歴史に、私も参加出来たような気持ちになります。こういう、その土地に自分を埋め込むような体験もとても楽しいです。
「積み直し」と「スクラップ&ビルド」の違いとは
ここでふと、「積み直し」と「スクラップ&ビルド(連載第8回、9回参照)」の違いは何だろう?と気になりました。石積みの積み直しの場合は材料を再利用する、という物質的な違いももちろんあるのですが、その場所の履歴を積み上げているかどうか、そしてそこに主体的に関わっていける余地があるかどうか、というところが鍵になるのではないかと思ったりします。
ヨーロッパの農村政策の資料などを読んでいると、「主権」という言葉が良く出てきて、小規模な農家もしっかりと政策決定に参加できること、自分で意思決定できることという意味で使われています。このあたりのことと、湯澤さんのお手紙のスクラップ&ビルドや時間の話が関係してくるのかなと思っているので、これについてはまたゆっくり考えてみます。
プロフィール
◆真田純子(さなだ・じゅんこ)
1974年広島県生まれ。東京科学大学環境・社会理工学院教授。専門は都市計画史、農村景観、石積み。石積み技術をもつ人・習いたい人・直してほしい田畑を持つ人のマッチングを目指して、2013年に「石積み学校」を立ち上げ、2020年に一般社団法人化。同法人代表理事。著書に『都市の緑はどうあるべきか』(技報堂出版)、『誰でもできる石積み入門』(農文協)、『風景をつくるごはん』(農文協)など。