サカナクション山口一郎さんの父、保さんの話|編集者のこぼれ話⑥
『長良川のアユと河口堰 川と人の関係を結びなおす』の編集を担当しました、農文協 編集部の馬場です。第六話は、サカナクション山口一郎さんの父、保さんの話。保さんには、一郎さんと二人で、本書の帯文を書いていただきました。上京の折、神田神保町にある農文協・農業書センターに立ち寄ってくださったり、農文協で著作集を出している哲学者の内山節さんの長年の読者だったり、ご縁がありました。
*お二人の帯文の話など、本連載の過去記事はこちら↓よりご覧ください*
*2019年、FMおたるで初の親子対談の様子*
10万人を集めた伝説の音楽イベント
山口保さんは、1947年、岐阜県金山町(現・下呂市)生まれ。ヨーロッパ各地を旅した後、1975年に北海道小樽市に移住しました。日本の伝統的な「沈め彫り」の技法を応用した独自の技法で、野鳥や魚を彫刻・彩色した「木鳥表札」の考案者として知られ、木彫工房「メリーゴーランド」を営んでいます。1970~80年代の小樽運河保存運動で中心的な役割を果たし、「小樽運河を守る会」幹事、小樽観光協会理事など歴任、2003年から小樽市議を3期務めるなど、地域のために活動してきました。
1978年、フォークソングのグループをつくって活動していた保さんは、埋立て工事が進む小樽運河で音楽イベント「ポートフェスティバル」を企画・開催し、2日間で10万人を集めて大成功させました。これを機に、水辺の価値が行政や住民に広く伝わり、運河を生かしたまちづくりへと潮目が変わりました。今日も小樽運河が残り、小樽観光の中心地となっているのは、保さんの知恵と情熱のおかげと言っても過言ではありません。一郎さんパパとして、サカナクションのファン(魚民=うおたみ)から愛される有名人でもあり、木彫工房「メリーゴーランド」は魚民の聖地となっています。
2023年12月、そんな保さんから、帯文の執筆に関するやりとりのなかで、たくさんの貴重なお話を伺いました。これまで語られていない内容もあり、私が聴いただけではもったいないので、一部を以下にご紹介したいと思います。
*木彫工房メリーゴーランド*
1970年代ヨーロッパの旅で見た風景
1970年、学生運動を離れて、立命館大学法学部を中退した後、京都の日仏学院で学び、その後アルバイトでお金を貯め、ロシア経由でヨーロッパに渡った。3年ほどヨーロッパに滞在したが、移動はほとんどヒッチハイクの連続だった。最初に滞在したパリでは建具屋の工房に9か月くらい下宿した。家のすぐ裏が工房だった。ヨーロッパの街は職人の街で、さまざまな工房が建ち並んでいた。ドイツや北欧にも行った。ノルウェーでは、9匹のニジマスを素手で捕まえた日本人として、新聞記事になった。
スウェーデンでは、チボリという移動遊園地の看板画工として2年働いた。1週間ほど営業して、また次の街に移動する。社会民主主義の国で、医療も教育もタダだった。日本人だけど、高校にも3か月通えた。チボリが休業となる冬の間にはウインドークリーニングの請負仕事をした。老人ホームは個室で、大きな窓とデッキがあり、すごく良い環境だった。同じ敷地に保育園があり、子供たちの声が聴こえてきた。
北欧の建築は、ほとんど木造だった。ヨーロッパ各地の街並みや建築を見たが、教会、市庁舎などの公共建築は、ゴシック、バロック、ロココの様式で、どれも重々しく感じた。水辺の役割はとても重要で、石積み護岸の運河には観光船が往来し、物流の役目を終えた古い港には大小のヨットやクルーザーが桟橋に所狭しと停泊し、水辺に沿った街路にはカフェやビストロが前庭にテーブルを並べ、人々がおしゃべりをしている。大西洋に沈んでいく赤い大きな太陽は、誰にとっても、地球の上に自分が生かされている実感を、心地よく感じさせてくれる。あちらでは水辺は一等地だった。日本でも、田舎には本物の自然がある。田舎は、それを生かした観光で稼ぐことができる。
*1971年ノルウェー『アレンダル日報』の記事*
内山節『山里の釣りから』との出会い
1980年頃、たまたま本屋で内山節さんの『山里の釣りから』を見つけた。釣りの本と思って買ったら、釣りを通して、川の流れや、山村の労働と暮らしの文化、共同体をとらえ直し、自然と人間の本質に迫る、すごい本だった。当時まだ封建的・閉鎖的で遅れた共同体とみなされていた山村に、未来へのヒントを見出していた。こんなことを考えている人がいたのかと感動した。以来、内山さんの本は、ほとんど持っていて、自分の指針にしてきた。だから、農文協の『内山節著作集』を息子に贈った。
戦後、川も道路も急速に「整備」されて、風景がコンクリートで分断されていった。山も乱暴な林道工事と皆伐・造林が進められる一方で、人の手が入らなくなり、どんどん荒れていった。その土地で育まれたデザインが壊されていった。だけど、ヨーロッパの田舎には、まだ風景が残っていた。内山さんは、原風景が残るフランスのピレネー山中やバスクのあたりに行っていて、目の付けどころが違うと思った。
岐阜の川の思い出、釣り天国の北海道
僕の実家は、岐阜の金山町にあって、木曽川に流れ込む飛騨川の支流の馬瀬川が家の前を流れている。木曽川にはダムがたくさんあって、残念ながら魚が自由に行き来できないけど、馬瀬川は綺麗な川で、釣りをしたり泳いだりしてよく遊んだ。子供の頃から、なんでも自分でつくった。山小屋も掘っ立て小屋だけど、鉈でつくった。
馬瀬川の支流の和良川は、アユが美味い。さらに山を越えて、郡上の白鳥(しろとり)の長良川までアユを獲りに行ったこともある。獲ったアユは、靴下に入れて白鳥の知り合いの家に持ち帰った。おふくろの在所が木曽川の兼山ダムの近く(八百津町和知)で、祖父の持つ川舟でよく、はえ縄(漁)をした。コイ、ナマズ、ウナギが面白いように釣れた。スズメも獲って食べた。食べるところは少ないが、頭が一番美味い。
北海道にはダムや高い堰が少ない。なぜかというと、サケが獲れないと困るから。ダムや堰にも必ず魚道がある。ただ、コンクリートの三面張りはやられている。川には魚を狙ってイタチがよくいる。道南にはアユがたくさんいて、漁業権がないので釣り放題だけど、なぜか本州のアユほど美味しくない。ヤツメウナギもたくさんいる。外来種のニジマスやブラウントラウトが放流されると、ヤマメやイワナがいなくなる。
近くの川で、けっこう、尺ヤマメが釣れる。イワナは海に下り、アメマスになって帰ってくる。今の時期(12月)は海にいる。リールが凍る中で釣る。サクラマスも同じ。アメマスは産卵時期、川の淵や堰などの深いところに集まる。60~70cmの大型もいる。北海道は釣りの天国みたいなところ。昔、知り合いの農場で夏休みに木彫教室を開いていたのだけど、「川へ行くぞ」と言って、子供たちと川へドボン。楽しいよぉ。遊びに来てください。