第5章 考え方1 仕え合うために生かされている
与えられたいのちの目的と意味
私たちのいのちは、父と母が肉体関係を結び、胎内で卵子が受精し、胎児として育まれ、この世に生み出されたものです。想像を超える遺伝子の組み合わせの可能性の中から私という存在が造られ、この心と体を与えられて生まれてきました。とても神秘的なことです。
サーバントは、いのちの背後に神の存在があると理解します。単なる人間の営みの結果として生まれるものではありません。神が一人ひとりの人間をかけがえのない価値ある存在と認めて創造し、この世を生きるいのちを与えたのです。
人はただ生きているだけの存在ではありません。あるときパッとこの世に生まれ、いくらかの時間を過ごし、やがて死んで消えてなくなる。それだけの無意味な存在ではありません。
神はいのちとともに、生きる目的と意味を与えました。すべての人が意味ある生涯を生き、人生の目的を果たすことが、神の切なる願いです。
人生の道筋をつけ、喜びを与えるもの
人生の目的と意味を理解している人生とそうでない人生では大きな違いが出てきます。
旅をイメージしてみましょう。目的地がある旅とない旅とでは大違いです。目的地が決まっていれば、どちらに向かって進んだらよいかはっきりとわかります。地図を見ながら、道がまちがっていないことも確認できるでしょう。あとどれくらい歩けばよいかも見当がつきます。ペース配分も可能です。目的地に着いたら、到達した満足感に小躍りして喜ぶでしょう。
一方、目的地のない旅はどうでしょう。行き先が定まらないので、あっちへ行ったりこっちへ行ったりします。時間ばかりがむだに過ぎ、通ってきた道をふりかえるとむなしくなります。後悔することも多くあります。せっかっく到達しても、そこが目的地なのかさえわからず、喜びや達成感を得ることができません。気ままな散歩ならまだしも、せっかくの旅行ではありえないことです。
人生も同じです。その目的と意味がわからなければ、「私の人生の旅は最高だった」と言うことは難しいでしょう。
サーバントは自分の人生の意味と目的をはっきりと自覚しています。なので、いろいろな場面での決断に一貫があり、筋の通った歩みになります。毎日の生活に満足感があります。たとえ困難にぶつかってもチャレンジし、乗り越える力が湧いてきます。何歳になっても喜びや希望があるでしょう。「私は自分の生きるべき人生を歩みきった」とふりかえることができます。
仕えて生きること
では、人生にはどんな意味があり、目的があり、価値があるのでしょうか。
サーバントは、自分の存在には無条件に価値があることを自覚しています。神によって存在を創り出され、いのちを与えられたという価値です。人のためになったら、社会のためになったら、立派だと評価されたら、価値ある者になるのではありません。あなたは生きているだけで神に愛されている、宝のような存在です。
サーバントにとって、与えられたいのちの目的は仕えることです。言いかえると、みんなを幸せにすることです。家庭や社会の一員として、友人、仲間のひとりとして任された役割や責任を果たし、人を大切にし、みんなに喜びをもたらす歩みです。これを目的に、一日一日一つひとつのことを、心をこめてやり遂げます。
このように、神に愛されていることを自覚し、人に仕えることによって、サーバントは人生の意味を見いだします。これこそ私の生き方だ、と力が湧いてきます。生きがいを感じ、喜びがあふれてきます。自分のために獲得する成功とは比べ物にならない、心の底から沸き上がってくるような満足感です。