松本清張の「火の路」と飛鳥の石
奈良や古代史、都市伝説について興味があると友達と話していたら、松本清張の「火の路」を紹介してもらった。この本はとても奇妙な本で、清張自身もこの小説の主役は論文であると言っているぐらい肝が論文の変な小説だ。
飛鳥にある「酒船石遺跡」に若い女性考古学者と真面目な文化論を載せる旅の雑誌の副編集長とカメラマンが出会うところから物語は始まる。飛鳥にはユーモラスな猿人の石像、大きな噴水だった石像、今も何のために作ったのかわからない酒船石など他の町では見る事のないタイプの石像がたくさん存在する。
日本各地で見られるような石仏や石像とは違って日本文化とは違う流れのような石像たちは遠くペルシャからの流れを汲むものだと若い歴史学者は考える。酒船石を見た後に奈良でたまたま出会った市井の歴史学者と出会って考察の手紙を交換し合う仲となり、イランへの旅を勧められる。イランを取材し各地を回る中で、火を崇拝する「ゾロアスター教」が大和政権の初期から入ってきており、斉明天皇が作った「両槻宮(ふたつきのみや)」の装飾のために作られたのだろうとの結論の論文がこの若手考古学者により書かれた、というのがこの本の大まかな粗筋で、清張らしく、古墳の盗掘や古物の偽物の事件などと組み合わさってミステリー要素も付け加えられている。
私が奈良に行き出した頃に、いつも行くバーで昔の奈良にはペルシャ人もたくさん住んでいたと聞いてびっくりした事がある。あの頃は本当に何も知らなかったと恥ずかしいけれど、奈良へ行ってたくさんの歴史を知る中で、有名な僧侶も遠くシルクロードからやって来た人であったり、お水取りの修二会を見て、拝火教へと思いを馳せていたので、この本はミステリーよりも真面目な考察について面白く呼んだ。飛鳥で猿のような石像を見た時の違和感がなるほどペルシャかとしっくり来たのだ。
この本の中で、東京の大学の研究室に勤める考古学者は何度も東京国立博物館の考古館へと足を運んでそこで、有名な飛鳥の石、須弥山の石と石人像を見に行き、ペルシャについて考えている。その姿が印象的でこの前の東京の旅行に行った時に2回も東京国立博物館へ行ったんだけど、実はその石は今は、奈良文化財研究所の飛鳥資料館にあるとその後知ったというあほwなんだけど、お陰で東京国立博物館へと行くことができたのでその点はとても松本清張に感謝している。
この本は1973年より朝日新聞で連載された小説で、松本清張の死後、飛鳥の考古学の中でも大発見が次々とあった。特にこの小説で言えば、酒船石のある山の麓から「亀型石像物」が出土したのだ!これを松本清張が聞いたならなんと言ったのかと読みながら何度も思う。
私など、飛鳥に行った時に亀型石像物が酒船石と信じ込み、その山の上に酒船石があったのに、見落としたぐらいだ。。。(恥ずかしい)
とうわけで、これは飛鳥へとまた行かなくてはいけないという気持ちになった。もちろん、フォトクラブのプチ合宿で飛鳥をサイクリングする予定なので、それまでにもう一度飛鳥へとロケハンへ行かねばならぬのだ!
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