北御堂から南御堂
7月の暑い日、大阪で知人と会った日のこと。用事が済んで地下鉄の本町の駅までまっすぐ歩いていくと、そこは「北御堂」の入り口でもあって、水上勉の一節が書かれていた。
その言葉に魅入られて初めて訪れた北御堂。
立派な建物に立派な本堂。流石だなあ。ここが、あの石山本願寺のその後、である。。。
敷地内に「北御堂ミュージアム」があると案内があり、そこへも行ってみた。(無料)
最近、上町台地にとても興味がある。大和から難波津までの道のりが奈良時代の一番大切なルートでありその表玄関が住吉大社であり四天王寺でありそれがあったのが上町台地だ。その成り立ちが図解されていてとても勉強になった。もうそこが海だったのがよくわかる。
北御堂の歴史を見ていると大阪歴史博物館で見た石山本願寺の大きさを思い出した。
↑歴史博物館の石山本願寺(大阪本願寺)の模型
石山本願寺は石山合戦で織田信長に潰された後に、色々うつろい、今、北御堂があるところに立派なお寺を作った。少し南に下がったところに南御堂も作られて、北御堂から南御堂へとお参りする道が御堂筋と呼ばれるようになった。この御堂筋は信仰の道だったのだ。
その歴史に習い、私も北御堂から南御堂まで歩いてみた。暑い中、雨の御堂筋ならぬ、晴れの御堂筋である。あなた〜〜、あなたはどこ〜よ〜w。
よくテレビのお知らせで聞いたことのある御堂会館とはこの御堂だったのかと「南御堂」をみる。
南御堂は御堂筋沿いの凱旋門みたいな御堂会館のビルの奥に鎮座していて、その中も立派な本堂になっている。なぜか可愛すぎる南御堂のゆるキャラのお坊さんのぶたがいたw
その横は、難波神社、実は弟が結婚式をあげたところ。
久しぶりにお参りして御堂筋を歩きながら駅を探すけどよくわからなくw途中から北心斎橋筋商店街へと入りこんでいた。都会らしいお寺めぐりである。
21.7.27