学校を選ぶということ
かつて、学校は地元でいい、どこにいってもそれほど変わらないし、
地元の様々な家庭の子どもたちに揉まれて育つのがいいと言われていました。そのまま幼馴染として育ってゆるやかにつながる地域が存続していました。でも、
・校内暴力など、学校の荒れが広がって、
・学校が偏差値で比較されるようになって、
・学校選択制になって、
(当時、海外では学校選択制は「学力」だけではなく、宗教やオルタナテ
ィブな運営方針や通学経路やスクールカラーなどで選ばれていました
が、日本でそれを真似して選択制にしたら、地域の公立学校が学力で一
列に順位付けされてしまうという現象が起きました)
自分の子どもには、より学力を伸ばしてくれる、より落ち着いた学校がいい
ということになって、
・さらに学校の差が広がって、
・公立ではダメかもと一部の親に不安が広がって、
・中学の段階で学校を選んで受験する親子が増えて、
・少子化だから入学できる総数は確保されているのだけれど、
・少しでもいい条件を求めるようになって、
・少子化と女性の社会進出でなんとか教育費を捻り出すようになって、
などなど、もろもろの条件が重なっていき、
いい学校を選んで行かせることが親の役割
(むしろそれをしない親は怠慢?)のようになっていきました。
受験率と経済状況は比例していて、
リーマンショックの時には受験率が低下したと言います。
つまり、親の経済状況が、子どもの教育への支出やその結果としての学力と直結しているのです。
そんな中で、学校は今のままではダメだ、もう待っていられない、自分たちで変えなきゃということで、「いい学校」が次々と開校しています。
日本各地に、まるで、選りすぐりの家庭の、これからの時代を担う子どもたちが通う「藩校」ができたみたいです。しかも、日本のどこからでも「移住」「国内留学」して「国際的な環境で学ぶ」ことができるのです。
親に経済力と情報収集力があって、親子が望めば。
公立の先生たちも、アップアップしているよりよりよい環境で自分の力を活かしたいと、こういう学校に異動していったり、新しい教育を求めて学校を立ち上げたり、別の形で外から学校教育に関わっていこうと工夫したりし始めました。この2-3年に学校を辞めた知人も少なくありません。
少子化や諸々の養育環境の変化の中で、子どもたちの発達が変化してきており、現場で頑張っている先生方にはますます負担がかかるようになって、教師のバトン、がネガティブ・キャンペーンのようになってしまったのは周知の通りでしょう。
そもそも欧米の教員採用の状況を見ていれば、日本もいずれ教員のなり手が少なくなることは予測できましたが、その対策は充分ではありませんでした。欧米の国々では、資格のない先生が教壇に立つことも珍しくなくなってきていますが、日本もそういう状況になりつつあります。
エストニアの教師教育者が、中学の教員のなり手がないというので、理由を聞いたところ「校内暴力」とのことでした。エストニアに一体、何が起きているのでしょうか。デンマークも地域によってはなり手がなく、他の職種で失業した人たちが教師になるという現象が起きています。
ずっと堅牢な壁のように変化がなかった学校教育の
一部だけに風穴があいて、一挙にぶわっと風が入ってきたみたいです。
さて、親子はどうするのでしょう。
日本は人口が一億3千万にならんとする国です。
あちこちで何が起きているかを一度に把握するのはとても難しく、
情報を取ることができる家庭では、
「一人の子ども」をどう育てるかの選択肢が海外にまで広がり、
そうでない家庭は右往左往してメディアや塾の情報に頼り、
関心のない家庭は、そのままに残ります。
夢を持ち、お金も情報も持ち、余裕をもってトビ立てる親の子どもたちと、
そこを目指してガムシャラに子どもを追い立てる親の子どもたちと、
のほほんとゆったりと構えている親の子どもたちと、
日々の生活に汲々として、怒声と失望の中で生きている親の子どもたちと。
そんな中でもコロナとギガスクール。
親がそれぞれどこに立つのかを決めなければならなくなってしまっています。学校に任せておけばいい、と言えなくなってきています。
自分だけが、自分の子どもだけが、一抜けた、とみんなが動いたら、
いい社会にはならないのだけれど、
自分の子どもを守るためにはそうするのが一番早いのです。
今はいろいろな可能性が拡がっていく時期なので、
もっともっといろいろな動きが起きてくるでしょう。
格差がこれ以上広がったら、うらやましさが拡がり続けたら、
国の中で、格差が分断になっていってしまうでしょう。
少しでも余裕のある人たちが
自分の子どもたち以外の子どもたちに関心を向けて、
いい学校を増やしつつ、
モデル校を広げつつ、
同時に
一番恵まれない条件にある子どもたちをどう支えていくかについて
自分の子どものことのように、考えていくことが必要でしょう。
自分の子どもだけが幸せな社会、という社会は作れないのですから。
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