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「すばる」を長いこと見ていない

「星が降る」と言われると
「メテオ」「や「りゅうせい」という究極呪文を思い浮かべてしまう。

降るような星というほうが馴染む。

我が家の周辺では、街灯がたくさんあって、星は見えづらい。
星を見るために海まで行こうかというには、ちょっと寒い。

深夜
集積所に不燃ごみなどを出しに行くと
オリオン座は良く見えるが、その反対側に見えるはずの
カシオペア座は見えない。
同じ町でも、以前住んでいたところでは北斗七星は見ていた気がする。
街灯の間隔が大きかったのかもしれない。

ときどきあれがカシオペア座かも知れない というのを見ることはあるのだが、三等星は本当にほとんど見えなくて、自信はない。

星が見えるのは灯りが無いところなのだ。


昔 小松左京の「果てしなき流れの果に」を読んだときに
古代の世界の暗闇は圧倒的なのだ というような文章を読んで
やけに心に残ってしまった。
防人の旅もそうだけれど、「羅生門」などの一連の芥川の小説世界も
その暗さがベースになっていただろう。
芥川龍之介が生きた時代はまだ、街灯はたいしてなかっただろうから
星は良く見えただろうな と思う。

星はすばる と書いたのは清少納言だったが
そういえばすばるを最後に見たのはいつだったろうか
思い出せない。

すばるを見ていた時は
すばるを見ることができない土地に住むことになるだなんて
思ったこともなかっただろう。

何が大切か とは難しい。
失われたものが大切だったことに気づくことは多い。


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nobuko fj
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