記憶とは曖昧なものだ
二階に来ると何しに来たのだろうと思う
台所まで来て
考えていた献立が思い出せない
よく聞く話でありよくある話である
二階が無くなって幸いであった
溜まっていた色紙を捨てた
一年足らずしかいなかった職場ばかり
貰ったときにはとても嬉しかった
書かれた名前を眺める
何年度か、書かれていない
学校名も書かれていない
思い出すよすがが何もない
思い出せないだけで記憶のどこかにあるのだろうが
生来探し物は不得手である
探し物に費やす時間は無為な焦燥 だから
整頓はちゃんとせよ という正論は
一応 うけたまわっておく
できたらしている
だからもう時間の無駄はしない
整頓ではなく
探すのを辞めた
他の事をしていると、見つかることも多い
三年接していれば
顔を思い出すこともあり名前も浮かぶだろうが
一期一会
生徒たちからしても
何十枚と書いた色紙を思い出すことはなかろう
「忘れ得ぬ人」になりたいと思ったこともあったのは若いころ
自分は通行人のようなものだと腑に落ち始めた近年
こちらが覚えていないものを覚えておけというのは傲慢千万だと気づく
「親切な」と形容されれば良いな とは最後の願いであった
色紙も文集もアルバムも、近々処分するだろう
感傷的になるのは
「過去を捨てる」事に対する良心の呵責的な何かのせいだ
または
完全に忘れることへの怖れか
私が忘れてしまった人々と
私を忘れてしまった人々
万が一、未来ですれ違う事があったら
せめて
「親切な他人」ではありたいと思う