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宇宙服と心の表皮と

昔の家は、大きな家でも仕切りは襖だった。
昔の同僚が、思春期にプライバシーがないのは嫌だったと言っていた。
着替え中に開けられたりとかいろいろあったのだろう。
狭い家だと、もっとである。
夫婦喧嘩聞き放題である。

そういう時代には、心の表皮はそれなりに分厚かっただろうと思う。
個室ができて、分厚い表皮は必要なくなって、少し薄くなり。
それから携帯を持つようになって、メールやライン中心になったら
他者と関わるための宇宙服を持ったのと同じなんじゃないかと思う。
直接かかわらない
傷つきにくい という両方をかなえられる。

そうは言っても生きていれば、生身で接することはある。
自分語りも楽しいが、たくさん喋ると反動がある。


前書きが長いのである。
要は、昨日たくさん喋った反動が来ている ということである。
心がずっとざわざわしている。今日は不快感は全くないが。

年齢的には固い表皮を持っているはずなのだが
生来 精神は弱っちぃ。

昨日は「詩の勉強会」であった。
認められる感じになってきた。
それでわかった。
自分は褒められ慣れていないという事。
褒められたい分野で褒められるなんて滅多にないことである。
ちょっとどうしたらよいかわからない。

褒められて伸びるタイプだと思っていたが
けなされたら伸びたりしないとも思うのだが
 (でも、くそったれ―― と頑張ることはあったかもしれない)
自分がどうやって伸びていくかわからない。
支柱が必要かもしれない。


それで一句

宇宙服脱ぎたし 春の風強し

意味は自分でもあんまりよくわからない。


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nobuko fj
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