エンパイア・オブ・ライト
出会って別れる。
彼は別の街で大学進学する。
彼を見ずに見送って。そしてもう一度名を呼んで
走って、抱きしめ合う。
お約束の場面がここにもある。
でも
何もかもが美しい。
この場面の区切り ってそういう感じ? という場面もある。
八歳の息子を置いて逃げ出し それ以来会っていないという映写技師。
「何故」と問われて、しばし考え、
「もう覚えていない」と
意外とささいな事だったかもしれないという気づきがあったかどうか。
出かけて帰ってきた彼女(ヒラリー)
映写技師を連れて息子に会いに行こう なんて、
そんなことは言わないのだった。
映画館に勤めながら、映画を見たことがなかった彼女が
映画を見ることに目覚める。
1980年代は、サッチャーがセルフヘルプを言い出したときだったのか。
日本の、自己責任 と同じだ。
分断とヘイト。
彼(スティーブン)の母親が、とても良い描かれ方をしている。
彼の額にキスするヒラリーを見て
「息子は変わった」とだけ言う。
ありがとうでもなく、別れてでもなく
ただ手を握る。
人種の問題が一番大きい ということがわかってしまう。
日本だったら財前直見さんと町田啓太(もっと若い子か?)
年齢は記号なのだった。
映画館に勤める人たちは、強い人たちではない。
優しい人たちだ。
映画評ではヒラリーは病気 ということを強調するものもあったが
フロイトがスルーしたような問題が存在すると勘ぐってしまう。
ヒラリーという名前自体が励ましかと感じてしまったのだった。
ヒラリー・クリントン。
彼女が連れていかれる時に流れたキャットスティーブンスは
昔、とても好きだった。
映画館に行って良かった。
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