オランダの「世界一の教育」の実態
昨日からアムステルダムにステイして、最初はオランダの政治と教育について1日中、実態を学んでいます。
政治家や現地移住した日本人の夫婦へのインタビュー。公立小学校学校の授業見学と先生へのインタビューを行いました。
一言で言うと、
「オランダ人、個々人の政治・教育・人生に対する解像度がレべチ!」
ということに尽きますね。
口から普通に出る言葉が、本質ど真ん中に突いていて、こういう国民から生み出される政治や教育のレベルは高まるのは当たり前だな!と思います。
決して、彼らが日本人と比べて優秀な訳ではなく、日本人は民主主義に慣れていなかったり、議論に慣れていなかったり、地政学的に参考になるものがなかったり、歴史や国民性も違います。
日本人もリテラシーを少しずつ高めていけば、変革には100年単位という感覚が必要だとは思いますが、同じこと、それ以上はもちろんできると思います。方向性さえ決まれば、猛烈に突っ走れる民族だと思いますので。
政治談議は後日に回すとして、とりあえず教育の話。
行ったのはアムステルダム市内の公立小学校。8歳、日本の小学2年生程度のクラスを2時間、先生に質問しながら見学しました。
まず、驚きは、教科書のレベルです。
下記は「生物」の授業です。まったく暗記型ではなく、個人で考えさせる、お友達と議論をしコミュニケートする、仮説を立て論理的に説明する、など社会で生きていくのに必要なスキルを学べるようになっています。
これ、小学2年生ですよ。
これは先生や、親御さんからもよく聞くセリフなのですが、
「学校を出た後に、どう生きていけるか?」ということを目標に、授業を設計したり、家庭での躾をしています。
そして最大の目標は、「子供たちが幸せに生きること」とすっと出てくるのが素晴らしい。それはお金持ちであることとは違う、ってことが、国民の共通理解がある感覚です。
人とうまくやることが大切だよ、とか、勉強を好きになることが大切だよ、自分で考えて生きていくとか。
日本の「良い大学に行く」ための教育という、手段が目的になるような感覚は全くありません。
これは時間割です。
ある程度のガイドラインがありますが、先生の裁量で自由に決めれるそうです。
午前中の脳みそが元気な時に、重めな授業を入れて、午後は飽きて来たり、疲れて来たりするので、ちょっと遊びが多いような授業を入れたり、空気を読みながら現場で微調整している感じです。先生の能力値が高い!!
驚くべきは午後の授業が13:00~15:00まで途中で科目を変えながら、ぶっ通し。
それでも、日本の50分くらいの授業より飽きてない印象です。
やっぱり授業の内容や進め方が上手。早めに終わった人が知育ゲームをしていたり、なんとなく全員を上手に泳がせながら、一定の規律の範囲内で、やる気を保てるように、先生が生徒を尊重しながらもコントロール下に置いている感じです。
一番だれてる人を、先生のお手伝いに任命したり、そのスキルに感心します!
室内を見渡すと、みんなで考えた、「より良いクラスにするためのミッション」が設定されていたり、
これは企業で言う、バリューに当たるようなのも設定されています。
何度も言いますが、小2です!
生徒の当て方も、くじ引きです。細かいことですが、挙手制や、名簿を元に当てるより、とても公平で合理的。一つ一つが生徒のためを思って、考えられている感じです。
疑問がある、とか、終わったとかは、サイコロの目を置いておくと、先生が見回ったときにケアできます。
この進捗表も大好きです。
ネガティブな表現が一つもありません。
先生が素晴らしいことをさらっと言ってました。
「たくさん失敗させてあげたい。だからできる限り褒めて、失敗しやすい環境を作っている」と。
これが言える日本の先生ってどれだけいるのでしょうか?
感情というのも、幸せに生きるのには、とても大切な要素ですが、自分の感情を理解し、表現し、どう対処するかというのも学んでいる印象です。
これらの教育は一朝一夕にできる話ではないなとは感じました。表面上やり方だけを持ってくることはできないなと。
先生自身がどいういう教育を受け、どういう環境で育ったかというのがすべての原点になりますし、それを受け取る生徒や親御さんが共通理解を持っている風土がないと、やっていくことも難しいのだろうなと。
そして、さらにそのベースとなるのが、個々人で考える文化ですね。歴史上の原因もありますが、日本のように、お上に従おうなんて感覚はありません。
個々人で自分の幸せを考え、行動してつかみ取るってのがベースとして浸透しているから、みな教育について考え、議論し、それが国民のリテラシーを上げています。
いや~、実に面白いです!
日本の独特な文化もとても好きですが、欧米が長年の歴史から培ってきた政治や教育のシステムなどはやっぱり素晴らしく、日本がより良い国になるためには、大いに参考になります。
ちなみに、公教育と言っても全然画一性がなくて、モンテッソーリがあったり、方針やレベルも違う学校を、自由に選択できるという感じです。
さ~どこから変えていくか!?どのように変えていくか?!
という疑問を携えながら、今日はとりあえずこの辺で。