写真好きの一人言『自分とカメラの眼』
私の職場では毎年、施設のイベントとして夏祭りを行う。
祭りの最後は花火大会。
なかなかの規模で行われるので、地元の人も大勢観に来る。
仕事半分、遊び半分といった感じなので、例年カメラと三脚を持ってきて花火撮影を楽しんできたのだが、今年は何も持っていかなかった。
花火終了後に祭りの片付けもあるのでバタバタするということもあるが、今年は【自分の眼】で見ておきたいという考えがあった。
とはいえ、スマホで動画を録っていたので画面越しの時間もあったのだが、ほぼ何もせずに夜空を眺めていた。
こうなったのには理由がある。
以前、Xで見た投稿なので詳細には覚えてはいないが、子どもの運動会で写真を撮るのはいいのだが自分の目で見なくていいのか。という内容(だったと思う)を見て考えさせられた。
そもそも私が写真を撮るキッカケは目の病気になったこと。
見えている世界を残したいと思い、その為の手段として写真を撮ることにした。
その結果、写真の楽しみを知ることができ【写真】を趣味して楽しむようになった。
そんな中、娘たちも成長し日常だけでなく、様々なイベント・行事も増えてくる。
その度にカメラを手にし、記録としても自分の楽しみとしても写真を撮ってきた。
そうしていくうちに先ほどのXの投稿と同じことを何度も考えることがあった。
私のカメラはデジタル一眼ということもあり、ファインダーを覗く時間が長い。
それは娘たちをファインダー越しに見ている時間が長いということ。
なんだかなぁ〜...
そんなことを感じているうちに【自分の眼】で見る時間というものをもっと大切にしようと思うようになった。
なので、今年の娘たちの運動会ではもちろん写真も撮るが、カメラから手を離す時間を増やしてみた。
結果として、もちろん撮った写真の枚数は減り、これはいい!と感じる写真も少なくなった。
それでも、娘たちの姿を自分の頭の中に今まで以上に残すことができた!と思っている。
不思議なもので、ベストショット(というべきか?)と言われるような写真として記録されるものは減ったにも関わらず、娘たちが【楽しんでいる・がんばっている】姿を写した写真の前後の記憶で満足できる。
いいと思える写真を見返して得られる感情とは違うのだが、とてもいい感情である。
そんなことがあってから、カメラを使った記録と自分の眼で見た記憶を使い分けるようにした。
そして、今回の花火。
写真で見る花火も素晴らしい。
さらに上手いかどうかは別として、動画として見る花火も素晴らしい。
だが、最も素晴らしいと感じるのは【自分の眼】で見て、周囲の音や匂いを一緒に感じる花火だと思う。
どれだけ写真や映像の画質が上がろうとも、人の目で見たものには敵わない。
そんなことを考えていても今後も写真は撮っていくだろう。
これからも自分とカメラの2つの眼を使い分けて過ごしていこう。