恋せぬふたりを観て。5話以降
後半の視聴終了。
素的な話でした。
すてき 素敵 敵なのは何故?
前半の疑問も解消。
友人の千鶴の咲子に対する好き。
咲子の千鶴に対する好きという意思表示に
自分の求める好きでは無い事に辛さを感じるシーン。辛いね。
無理でもカズくんみたいにアタックしちゃいなよ!と思うおっさん(俺)
カズくんは結局良いやつだと思うけど中々特殊な立ち位置だなあ。
咲子の言葉に救われてるね。悲しいけどカズくんは別の道が良さそうだよ。
旦那の浮気が原因で結局シングルの道を選んだ妹(エンディングに旦那いなかったから離婚したと思ったのですが)その先に幸あれ。
お母さんの咲子に対する、結局は子の幸せを祈るという気持ちは、そうだよなあと納得。お父さん殴っていいよ あの旦那!
寧ろ何故帰った。病院から帰ったら駄目だろう旦那。
私はバツイチですが両親も離婚してまして、両親の場合は浮気が原因だったので正直、あの旦那に殺意を覚えました。お父さん、お母さんいいね。あの組み合わせは良いね。
この付近が1番感情移入したなあ。
旦那、出産時に浮気なんて1番だめやん。子供の前で感情丸出しもダメだよ。
多様性 決めるのは自分だね。
社長の女性も辛いね。
高橋家にお線香をあげにいったのは何か深いエピソードがあったのだろうなあ。
祖母の家が旧来の家庭の象徴なんでしょうね。
おばあちゃんの善意が高橋を結果苦しめ、しかしその愛情が家族を持ちたいという気持ちに繋がる。家を最終的に咲子にお願いして自分は転職、転居へ。
納骨により祖母とも一区切りという事なのでしょうか。
しかしあの家があったからこそだなあ。
高橋の劇中設定は40代のようですし、その祖父母は戦中、戦後を過ごした世代でしょう。両親の描写は少ないですが世代的に戦後間も無くといった生まれでしょう。
比較的、自身と近い世代だと感じました。
部屋のインテリアが祖父母世代を想起させ、おそらく多人数で暮らし、何世代かをあの家が受け止めて来たのかなと想像したり。年中行事も親戚が集まってなどという風景が目に浮かびます。
家族という共同体。
結婚、出産、育児、介護など身内、親戚といった血の繋がりというか
全て家族内でするのが当然。地域でも村、町、部落だったりといったコミュニティ。
今は、結婚も1つの選択肢だろうし金銭的にも家を買うことだったり部屋の数や間取りも違うし。
そんな旧来の家族形態から
あたらしいかぞく(仮)へ。
ことばも時代の流れで変化するように
家族の形も変化する。
家の形もこの後の世代で変化するのでしょう
というか世の中変わらないものなんてないんだろうな
と感じる作品でした。
原作もあるようなので機会見つけて読んでみよ