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中高年夫婦の愛と依存

現在の
といってもそれ以前はないのだが

妻と結婚してから四半世紀が経過している

今は相手の存在が
居て当たり前の状態になり

大きな波風もたたない中で日常を送っている


近所でも同じ頃に結婚した人が多く
やはり平穏に夫婦生活を送っている



これからもこれが続いていくのかな
などとぼんやりと考えながら
夫婦の形について綴ってみます


愛を可視化する

夫婦愛の前に



恋人や友人が自分のことを
どれだけ気にかけてくれているのか
これを簡単に確かめる方法がある



「コンビニで水を買ってきてくれ」
これを頼むだけ


黙っていても
あなたがいつも愛飲している銘柄を
買ってくれば合格です

銘柄を聞いて買ったとしても
ギリギリ合格



何を言いたいのかというと

相手の日常の中に
あなたという存在が
どれだけのウェートを占めているか
あなたの行動をどれだけ意識しているのか
これがわかるのです



愛は相手への思いやりであって
愛情が強いほど相手のことが気になり
お互いがこれを確認できたときに
結ばれることになります


見ているものが次第に変化してくる

別々に生まれた二人が

運命に引き寄せられて出会い

互いに気持ちの高まりを大切に育て

紆余曲折を経て無事ゴールイン



歯の浮くようなプロポーズの言葉も
まだ記憶の中に鮮明に残り


相手のやることすべてが新鮮に映る

この頃の二人には確かに愛が存在し
相手への思いやりにあふれていた



そこから時の経過と共に

二人の間で見えていた新鮮さは
いつの間にか影を潜め

お互いの存在は慣れ親しんだ
日常の中に埋没していく



多くの夫婦は大体このような形で
収まっているのではないでしょうか



愛の炎に包まれていた二人にも
生活という現実を生きなければなりません


お互いを見つめていた視線は
次第に別々の方向へと移っていきます





夫婦であってもそれぞれが
別の個として社会参加をしていますから
次第にお互いの行動に干渉しなくなります





では愛も同時に消えてしまっている





というとそうでもなく



家族というくくりの中でお互いを認識し


お互いの気持ちは
愛という言葉で表現するよりも



相手への思いやり
相手へのいたわり

といった穏やかな表現に移っていきます



干渉しないとは関心を持たないことではなく
お互いを縛らず
個として尊重し認め合うということです

愛とは似て非なるもの

中高年夫婦の間で
お互いに視線の方向が別々になっていくのは
ごく自然なことです



ところが



いつまでたっても
相手にばかり視線を向け
自分で行動できないという人もいます




女性の側に多いのですが
生活のあらゆる決定を
自分で判断しようとせず


常に相手の意向に従うことを良しとする


調度品や食べるものも相手に合わせ
それが相手への思いやりと思い込んでしまう



そういう人に共通するのが


自分で何かを始めることや探すことを嫌う


たとえ相手に裏切られるようなことをされても
自分から行動することなく
ただひたすらに
相手が変わることを待ち続けます



相手にしてみれば
ただ疎ましいだけの存在です




自分の見る方向は変わっているのに
いつまでも自分を見られるのは

行動が制限されているように感じますし
常に監視対象のようで気分を害します



異性を追うことに快感を覚える男性にとって
依存され続けることは耐えられません



必然と外に自分の居場所を求めることになります




夫婦といってもお互いが独立した大人である
これを忘れないことが夫婦を維持する
秘訣ではないでしょうか



もう一つ



私が夫婦を維持するためにやっていること

それは


妻の良いところを
常に周囲の人間に言うことです



そうすると




周り回って妻の耳に入り
妻もご機嫌になるというわけです





え、直接言え?




やはり・・ねぇ・・





照れちゃいますよ


まあ



たまーには






愛してるなんて





言うこともあるような無いような






あなただって
そんなもの




でしょ?







ここまでお読みいただき
ありがとうございます

あなたのもとに 素晴らしいことが

たくさん たくさん

降り注ぎますように

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nobu
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