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つれづれ読書感想文(その9)

少し話題の本を。
 「なぜ働いていると本が読めなくなるのか」

よく本の内容紹介しているYouTubeチャンネルが取り上げているのを見たのと、著者がこの本についてインタビューを受けているのをたまたまみて読んでみた。

そもそもこの本の題の通りであれば、働いている人はこの本を読めなくなるのではないかと思うのだがそれでいいのか。。。

まあ、いろいろなことが書いてあります。
最終的に言いたいこともよく分かる。
うんうん、そりゃあそうだよなって感じ。

でもそれでは読む必要がないのではないかという気もする。

なので別の見方からこの本を紹介したい。
(いや、普通になぜなのかを知りたいなら普通に読んでください)

まず第一にこの本は文章に込めている熱量が違います。
本って書き方で受ける印象が違っているんだがこの本を読んで感じたのは居酒屋で酒を飲みながら話を聞いているような感じ。

お酒を飲み、饒舌になりながら好きなものについて話す、またはこんな事あるんだぜと自分の知っている情報を話すのは気持ちいい。
ただ、はなしに興味が持てなかったり根拠が薄いと説教くさくてだれてしまう。

この本の場合は、細部に自分の論点は昔の人のこの人も書いているとおりと引用がとにかくすごいから、
証拠もあるんだ!どうだ!こうじゃろ!って気持ちがすごい。
(ちょっと引用が多すぎるきもするが)

YouTubeチャンネルでは、結論に行くまで長〜〜〜いとあったがそれはそう。

こういう話をしたい人は起承転結というか物語性を高めるために助走をとって話す。
そうやって話したほうが楽しいからだ(私もやりがち。。。)

この助走で振り放されてしまうと多分最後までついていけない気がする。
ちなみに読書に対する社会史的な面が多い。

後はこの話方が好きな人なら読めると思う。
好きなことを好きなように話している本は面白いですからね。

この本のテーマにも通じるのだが
最近の本はこうしてみると良いですよ、って本が多い。
自己啓発本とかね
だけれどそれよりも
「みんなーー!!!こんなことわかったんだけれどみてみてー!!」
って書いてくれる本のほうが面白い。

まあ、そんな本をみんなが読める社会にできるかは難しい。

ただそうしたいけれど今の現状じゃできないからみんなで考えようという啓示もこの本の意義である。



ここからは本の論点とは関係ない話。
常々読書というのは簡単な行為みたいに言われるがそうじゃないと思う。
読書している人のイメージってその過去まで含まれると思うんだよね。
例えば年一冊しか本を読んでない人が趣味を読書と言ってもイメージ的に合わない(いや、別に好きに言ってもいいんだが)

やっぱり何冊も何冊も読んだんだろうなあっていう過去があると読書しているんだーというイメージが合ってくる。

そう考えると筋トレとか、演奏技術とかそんなもんと同じように継続してこそ読書ってできていると思うんだ。
現に昔の本って知らない言葉もたくさん書いてあるし長い本は集中力が必要。
それまでに鍛えたある程度の読書経験が、その後の読書経験に結びついている。

そう考えると読書しない人っていつまでも読書レベルが低くて初めのほうの町にいるゴーレムも倒せない。
一方で読む人を選ぶようなキラーパンサーみたいな本ばかり世間に溢れてしまうといつまでも太刀打ちできずに本を読む人が増えないんだと思う。

英語の本は英語レベルによって階層分けされているけれどあれを日本語の本にも適用して、みんながみんな自分のあったレベルの本を読めるようになったらいいんじゃないかな。

本の内容は時間とかの話だったけれど、そんな工夫も
いいんじゃないかと思いましたまる


おわり

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