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書くことで見えた深層心理

あの人は仕事をしてくれない。
会社でそんな話をした。

双方、理由が様々だろうからお互いのできる妥協点まで話をする。

相手の言い分・言い方に腹を立てて「仕事なんだからやれ」というのは、依頼する側の傲慢し、ただめんどくさいからやりたくないのをオブラートに包み、依頼される側が拒否するのであれば、それをひとつひとつ詰めていき、できない理由が正当なものなのかを最小のかたちまで落とし込んで判断するのも依頼する側ではないか。

そんな話を聞いていろいろと思うことを話したけれど、でも答えは突き詰めれば一つしかなくて、「何故直接その人ともっと話しないのだろうか?何故拒否をするのか、その根本的な理由を知りたいと思わないのだろうか?」だった。

関係がこじれすぎると、表面で語られる言葉はただ相手に打ち負かす道具に成り下がり、分かり合おうとするなんて気持ちは皆無。

逆なことを言うようだけど、人と人は基本的に分かり合えないと思ってる。

皆異なる人間であり、似たような状況・境遇であっても同じ気持ちの人なんて誰ひとりいないし、人のことを分かるだなんておこがましいとまで思っている。

でも、だからこそ、言葉を尽くして話をし、言葉の限りを聴いて相手を知り、分かろうと努力をしたい。

「分かり合えない」は、人を拒否することではなく、自分と相手を同一化して考えない立場をとる、の意味だと捉えている。

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ここまで書いてちょっと違和感。
「あの人は仕事をしてくれない」について3時間ほど会話した話をnoteに書いていたつもりだったのに、コミュニケーション不足の彼女に対して異を唱えてるだけの話になっている。こんなことを書こうと思って書き始めたわけではなかったのに。

でも、自分の行ったことの反省点が分かった。
「言葉を尽くして話」はしたかもしれないけれど、「言葉の限りを聴いて相手を知り、分かろうと努力」ができていなかったからこそ、異を唱えるものがこうやって文章に出てきている。

自分は何をしたかったのか。
解決を望んでいるが、解決のための道筋が明確になっていない。内容に引っ張られすぎている。と思うと、コーチング技術を持っていたら短時間で具体的な行動への話ができたのかもしれない。

相手を否定せずに、自ら行うべきこと、ネクストアクションを引っ張り出してしまう技術。これからカウンセリングの勉強をしていくのだが、合わせて(もしくは終わってから)コーチングの勉強もしていきたいと思った出来事だった。

最後まで読んでいただきありがとうございます。頂いたサポートをどのように活用できるかまだわからないです・・・。決まるまで置いておこうと思います。