見出し画像

平間写真館のオンラインポートフォリオレビューに参加。「目に見えないことを言葉にすること」とはなにか

Twitterでたまたま知りどんなものかも分からず見学者として申し込み、今日参加してみたら、自分も感想を述べる側である知りびっくりドッキリ。

てっきり観覧だけのつもりで自分の画面が表示されることないと思っていたところから、一気に緊張感あふれる参加になった。

目に見えないことを言葉にすること

目に見えている写真から、見えていないもの「情感」と言い換えてもいいのだろうか、それぞれの人が言葉にしていく過程を垣間見れた会だった。

参加者の写真を平間さんの第一印象を交えながら皆で見て、その後参加者が第一印象を話し、その後平間さんがじっと見る時間が設けられ、そこからより深く写真の考察が始まる。

そして参加者が再度感想を述べ、その感想を受けて平間さんが撮影者の方に質問をしながら進み、最後もう一度平間さんがさらに考察を試み、先程とまた違う視点で語られるといった流れだった。

平間さんの語りだけでなく、参加者の方の言葉に触発され、最初の印象からより深く写真に対しての視野が広がっていくのを感じた。

今回はお子さんを撮っているお父さんという関係性の写真で、最初はその視点が大きく占めていたのだけれど、参加者の方が「成長記録の中に映る、時代性、地域性」という言葉が出た瞬間に、その周りの風景の意味が強く感じられてきて、東京で撮られた写真だったんだけれど、今ココの東京とお子さんが数十年後には懐かしくノスタルジーな写真になっていくのか、という心境が芽生えたりした。今は自分が撮影しているのは主に近所の風景と母ばかりで、わりと被写界深度浅い目の写真ばかり撮っていて、周りを撮ることがあまりないなぁと思ったり、母の老いを意識して撮っているのかもしれないなど思ったりしたので、時代性、地域性も併せ持つ写真を撮りたいなと思ったし、自分の写真のプレビュー会を1人でやってみてもいいなと思った、と感想を述べた。

それを受けて平間さんが「記録、表現としての写真があってそれを意識して撮るといい。結果としてそれが逆になることもある」だったかな。そんなことを話してくれた。母と一緒にいると、今写真撮りたい、という衝動があってカメラ持ってきて撮るのだけれど、そのときにもう一歩踏み込んで平間さんがおっしゃっていた「記録と表現」を意識して撮影してみよう。

人の写真に対して感想を述べたり、誰かの考察・感想を聞くだなんて写真学校に行っていたとき以来で20年振りだった。他の人の話を聞いていて、もっと言語化できるようになりたいという気持ちも芽生えたし、感想を話しただけなのに自分が表現者にでもなった気分で甚だしい限りだけど、気分を味わえたからこそ高みを目指したいと思えることができた。撮ることだけでなく見ること話すことがセットになって初めて自分が納得がいく写真に近づいていくはず。

目に見えないことを言葉にすること」とは、新しいもの、新しい自分に出会う入り口のように思う。

文章を書くとき考えたことを書くということもあるけど、書いて考えが見つかる場合が多くて、写真でも同じことをやっていきたいなと思い始めた。衝動だけでなく考えて写真を撮ることを再びやってみたい。

めちゃくちゃ緊張したけどほんと楽しかった。今度は写真をレビューしてもらう側になれるように写真を沢山撮ろう。

いいなと思ったら応援しよう!

サーシュ
最後まで読んでいただきありがとうございます。頂いたサポートをどのように活用できるかまだわからないです・・・。決まるまで置いておこうと思います。

この記事が参加している募集