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記憶の衰えと永続性、忘れることは生きることとCoccoは言ったけど忘れたくもない
仕事から帰ってきたらなんだか目が痛いし物凄く眠たい。モニターを直視していたわけでもないのになぜだろうかと思ったら、花粉が飛び始めているというニュースを見てそれかとついさっきまで思ってた。
そういえば昨日、兄のデータを移したiPhoneで動画を見た後になんとなくメールとかLINEとかアドレス帳を見ていたらいろいろ思い出して大泣きしたのを思い出した。もしかしてそれで今日は目が痛いのかもしれないけれど、そんなことよりも昨晩のことをすっかり忘れてしまっていることにビックリした。
毎晩毎晩嫌なことを繰り返し思い出すような日々を送ってきたことに比べたら多分良いのだろうけれど、それにしても忘れすぎではないだろうか。そういえばこの間は、仕事に行く時に母からマスク忘れずにねと声をかけられはーーーいと言った数秒後にマスクの横を素通りして外出してしまったことにもビックリした。母も流石に驚いていた。
その反面、何年経とうとも兄の死に対して抱える後悔の気持ちは消えない。
鋭利な感情が稲妻のように訪れ、それ以上思いを進めないよう押し留めようとするけれど、その思いも虚しく走馬灯のよう次々と押し寄せる情景を目の当たりにし頭の中でさえも持ち合わせる言葉が見つからず涙だけが溢れ出す。だいぶ少なくにはなったけれど、定期的にそれは訪れる。
にもかかわらず、次の日には綺麗サッパリ記憶の跡形もない。どういうことだ。これが普通なのか。
でも、ちょっとした記憶喪失のようですこしホッとする。昔たいそう憧れた記憶喪失。父が亡くなった後に何度となく記憶を消したいと願った。バスに乗ってる時とき、電車に乗っているとき、このまま事故にあって記憶がなくなればいいのにと何十年も思い続けた。今では一晩で忘れちゃうんだから願いが叶ったのか?なんて思えたんだとしたら、私は少し変われて生きやすくなったと思う。
忘れるたびに思い出す言葉がある。
「許すことは忘れること、忘れることは生きること」
10代の終わりごろ、父が亡くなって3,4年ぐらいのとき、ラフォーレ原宿で行われた歌手のCoccoの展覧会で見たこの言葉に救われ、これまでもずっと導かれている。何かを忘れるたびにCoccoの言葉を思い出し、またひとつ前に進めたと実感する。
それと同時に、どんなに辛くてもこの感情を忘れもしたくないと思う。私ができるのはもう思い出すことしかできないから。
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