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悲しみは、自分ひとりでどうにかするものと思っていた時期が、私にもありました
先日、渡辺美里のMy Revolutionを聞く機会があった。いつ聞いても名曲だなぁと思っていた矢先にある歌詞が気になった
きっと本当の悲しみなんて
自分一人で癒やすものさ
本当の悲しみってなに?自分一人で癒せる?
他にも気になる歌詞がある。
夢を追いかけるなら
たやすく泣いちゃダメさ
泣いちゃダメってなってしまったら、何故いま涙が出てしまうのか分析ができないではないか。
昭和の時代、根性論が溢れ強くあらねばならないとの思いから、自らを鼓舞する応援歌生まれたのだろうか。悲しみは一人で癒やすもの、と明確に言葉にしたことはないけれど、私もそう思っていた時期があったように思うけれど、今はそう思わない。
悲しみ、痛み、辛さについて、好きな言葉がある。
宇多田ヒカルさんのDeep Riverのミュージックビデオで流れるモノローグ。
二つの鏡が向き合い、
音をたてて反射し合った。
自分によく似た人に出会った時、
私はそんな音をたてるだろう。
子供も大人も、鏡に映る自分を見るのが好きだ。
映されようと夢中になり自分もまた鏡であることを忘れれば、
人は静かな空間をもてあまし虚しさを覚える。
私は鏡だ。
光の届かない場所で動けずにいる者に
手を差し伸べるのではなく、できる限り近くに自分を置く。
そして同じ景色をみる。
痛みは、誰かと共感できたなら
気持ち良いものに変わるということを知ってる。
悲しみが減るのでも世界が変わるわけでもないが、
私の中で反転された世界は確かに新しい景色に見えた。
誰もが自分に似たものを探している。
どんなに自分が嫌いであろうとも、自分に似たものなら愛せる。
尊敬や憧れという感情には、愛が無い。
然るに人が一生の中で最も愛すのは、
世界で一番似ている人ーーー自分の子供。
私は子供だ。
正しい道を進んでると信じているから、途中で捨てたもの
あきらめたものを、 犠牲だなんて思わない。
空が目を閉じる。
そんな人がそばに現れてくれないだろうかとずっと望んでいたでも、現れたのはそれから数十年先の出来事だった。それまで何故出会えなかったのか、それは悲しみや辛さについて語るに必要な言葉を私が持ち合わせていなかったからだったとそのとき理解した。だから一人で抱え込みがちになってしまう。だからこそ、悲しみや辛さを言葉にできない人がいたら、ただそばにいることができる人でありたいと思う。
なんてことをMy Revolutionを聞きながら書いた。歌詞はほんのちょっと気になりつつもやっぱりいつ聞いても名曲だ。
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