「新しい実在論」を分かり易く学ぶ➌
《これまでの記事》
「新しい実在論」を分かり易く学ぶ❶(2020.6.5)
「新しい実在論」を分かり易く学ぶ➋(2020.6.20)
◇第3回「これはそもそも何なのか、この世界とは②」2020.7.3 ZOOMにより実施
BPIA (ビジネスプラットフォーム革新協議会)の会員向けに行っている研究会「Think!」。2020年度の研究会は、『Think! 新しい実在論研究会 〜新実在論で世界、社会を捉え直す〜』というテーマで、オンライン講座という形態で進めています。https://b-p-i-a.com/?page_id=8119 「本質主義vs.相対主義」という対立から抜け出す第三の道を開く、マルクス・ガブリエルらが提唱する「新実在論(新・ドイツ観念論)」などの最新哲学を探究します。
2020.7.3に、研究会第3回がオンライン開催されましたので、以下要旨を報告いたします。
本研究会では、マルクス・ガブリエルの著作『なぜ世界は存在しないのか』(講談社選書メチエ刊)を基本書としています。
今回第3回は、本書の第1章「これはそもそも何なのか、この世界」(P30~P74)の後半を共有します。
この第1章では、マルクス・ガブリエルは次のことを我々に問います。
前回(第2回)は、
そもそもすべてはどこで起こっているのか?
を共有しました。
前回は、この問いに答えるための概念である"「宇宙」と「世界」"を比較しました。
ガブリエルは、次のように☟言います。
「キーワード」としての、「存在論的な限定領域」の意味はこうです。
前回(第2回)では、
宇宙は、世界全体よりも小さい
と共有しましたね。
で、今回(第3回)は、
「宇宙」よりも大きい、この「世界」とは何か?
を考えます。
ここで、ちょっと確認です。
第1回でも示したように、そもそも我々が考えようとしていることは、次のマルクス・ガブリエルの基本テーゼです。
世界は存在しない
このテーゼに至るプロセスとして、今回(第3回)では、
そもそも世界とは何か?
を考えます。
それでは、第3回に入りますね。
「世界」というと、日常的には、私たちは自身の生きるこの惑星、つまり地球を思い浮かべます。また、太陽系の外にある惑星でも、居住可能な惑星であれば、「世界(World)」と呼ぶこともあります。
僕の好きな番組に、TBS系列で放送されている「マツコの知らない世界」があります。毎週、様々な世界が紹介されます。最近だと、以下のような「世界」が紹介されました。
どれも素晴らしい「世界」です。世の中、つまり、「世界」には、いろいろな「世界」があるなぁ...と僕は想います。
マルクス・ガブリエルはこう言います。
私たちには、その本性によって「現に存在しているあらゆる対象の総体を世界と見なす傾向」があるのです。
しかし、そのような総体が存在し得るためには、ある種の「規則」ないし「法則」が存在して、当の総体を取りまとめている必要がある、とマルクスガブリエルは言います。
彼は、ローマ人を例にして説明します。
ローマ人の世界とは、単に当時のローマ帝国に存在した「対象」の総体ではない。これら「対象」の「相互関係」でもあり、これら「対象」を扱う"ローマ人特有の様式"の総体でもある。
"ローマ人特有の様式"とは、ローマ人の「文化」「儀礼」「慣習」などのことです。
ここで、マルクス・ガブリエルは、哲学者ヴィトゲンシュタインの考えを持ち出します。彼が生前に刊行した唯一の書籍『論理哲学論考』に記載された考えです。
「世界」とは、成立していることがらの「総体」である。「世界」は「事実」の総体であって、物の総体ではない。
このヴィトゲンシュタインの考えを使い、マルクス・ガブリエルは、次の例で「世界」を説明しようとします。
「世界」には、リンゴと果物鉢と、両者の占めている空間だけが存在していると想定してみます。
この場合、「世界」は、このリンゴと果物鉢と、両者の占めている空間の総体だけでなく、「果物鉢に盛られた」という、物の「相互関係」に関わる「事実」も存在しているのです。
物の「相互関係」に関わる「事実」も存在している
ところで、「事実」とは何でしょうか?
マルクス・ガブリエルは、「事実」を以下のように定義します。
「事実」とは、何かについて「真である」と言える何らかのこと。
リンゴが果物鉢に盛られていること(事実)は、リンゴについて真であると言えます。
彼は、こう言います。
「事実」は、「世界」にとって、物ないし対象と同じぐらい重要。
ここで、皆さんに質問です。この☟「真っ黒」のスライドを観てください。
物が一切存在しない、この荒涼とした無の世界。
ここには何が存在しているでしょうか?
「物が一切存在しない」という「事実」が存在しているのです。
マルクス・ガブリエルは、ヴィトゲンシュタインの考えを使い、以下のように言います。
ヴィトゲンシュタイン曰く、『「世界」には「物」「対象」「事実」が存在している』と。
ここで、なんと、マルクス・ガブリエルは、ヴィトゲンシュタインの考えを批判し始めます。
マルクス・ガブリエルはこう言うのです。
「物」「対象」「事実」以外に、もう一つ存在している。
さて、もう一つとは何でしょうか?
マルクス・ガブリエル曰く、
「世界」には、「対象領域」も存在している。
そう、世界には、「物」「対象」「事実」以外に「対象領域」も存在しているのです。
この「対象領域」については、前回(第2回)でも、次のように説明しました。
ここで、やっとマルクス・ガブリエルは「世界」を説明します。
だから、何なの「世界」は!?。
ガブリエルは、哲学者ハイデガーの言説を使いながら、こう言います。
「世界」は、すべての「対象領域」を包摂する「対象領域」である。
さらに、こうも言います。
「世界」は、すべての「対象領域」を包摂する「対象領域」だが、これに対して、「宇宙」は、自然科学の対象領域しか包摂していない。
さらに、彼はこう付け加えます。
「世界」には、さまざまな対象領域が数多く存在している。さまざまな対象領域の中には、
・排除し合うもの
・さまざまな仕方で包摂し合うもの がある。
今回のまとめです。
さて、私たちが考えようとしているのは、「世界は存在しない」というガブリエルのテーゼです。
今回で、「世界」の定義は、
「世界」は、すべての「対象領域」を包摂する「対象領域」
と明らかになりました。
あと考えるべきは「存在しない」ということです。
そこで、次回(オンライン講座は2020.7.17)は、書籍の第Ⅱ章である、
「存在する」とはどのようなことか
を考えます。
(追記)書籍の第Ⅰ章では、マルクス・ガブリエルが社会哲学者ハーバーマス、物理学者ホーキングの考えを批判する記述がありますが、この「note」で説明するとややこしくなるので割愛します。ご関心のある方は書籍をお読みください。
(記載日:2020.7.5)