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『記憶』 #時を縫う奇瓢譚 #note書き初め
むかしむかし、山あいの小さな村に、「黄昏茶房」という茶店があった。
その店では、誰でもひとつだけ『忘れた記憶を思い出すお茶』を出してくれる。そのお茶を飲んだ人は、失っていた記憶を再び取り戻すことが出来る。そう、村人たちの間で語り継がれていた。
ある日、旅をしている娘がその茶房に立ち寄った。
「おじいさん、伝説のお茶を1杯いただけませんか?」
白髪の老主人は、黙ってうなずき、丁寧にお茶の用意し始めた。しばらくすると、湯呑みには湯気が立ち上り、良い香りが広がるお茶が、娘の前に置かれた。そして老主人は娘に言った。
「飲む前にどうか心を決めてください。思い出した記憶は、もう二度と消せませんから」
(記憶が二度と消せない?)娘は不思議に思い、その理由を老主人に尋ねた。
「それは、このお茶が単なる飲み物ではなく、心と魂を繋げる力を持っているからです。このお茶は人の心を深く読み解きます。その人の本質、言わば心の奥底にある、"本当に知りたい記憶"だけを蘇らせるのです。そしてその記憶が消えない理由......それは自分の人生にとって非常に重要であり、必要なものだからなのです。例え、その忘れていた記憶が良いものであっても、悪いものであったとしても......」
娘は少し迷った。
そして老主人と目が合った。大丈夫だよ。飲んでご覧と言われているような気がした。
娘は思い切って飲むことにした。お茶を口に含むと、渋みと甘みの優しい味が広がっていく。すると次第に幼いころの記憶が浮かんできた。それは、山のふもとの家で、優しい母と、あまり話さない無口な父と一緒に過ごした日々のこと。
暖かな春の陽射しの中、家族3人で縁側に座りお茶を飲んでいた。
その時、父がふと、「このお茶の味が心に染みるとき、お前はきっと大切なことを思い出すだろう」と言った。その言葉をきっかけに、娘は母が言った言葉も思い出した。
「どこにいても、どんなに遠くに行こうとも、私たちはいつでもあなたの心の中にいる。迷ったとき、つらいときは思い出して。どんな道を選んでも、あなたの帰る場所には私たちがいる。いつもあなたの心の中に私たちがいるから......」
母がこの言葉を語ったとき、娘は幼く、その意味を理解出来なかった。母が握ってくれる温かい手のぬくもり。そしてその言葉をただニコニコとしながら聞いているだけだった。
しかし両親が亡くなった後、娘はその言葉がどれほど深い意味を持っていたのか、やっと理解できた。
どんなに迷っても、戻るべき場所は自分の心の中にある。ということを。
娘は涙を流しながら、最後までお茶を飲み干した。
「思い出しました。とても大切なことを......」
老主人は静かに微笑んだ。娘が店を出ると、風に揺れる店の扉の鈴が静かに鳴り響き、店内に静寂が戻った。
その後、娘はどんな時も、日本茶の香りと、両親の言葉を胸に抱き、生きていった。
めでたしめでたし。