体験としての読書と休職

この3ヶ月体調を崩して休職をしていた。
何か大きなことが有ったわけではなく、
数年前に罹患した癌の手術、昨年5度に重なったコロナやインフルエンザへの罹患、40代に突入した体、そうしたものから免疫力をふくめて大きく気力体力が衰えてしまっていた。
それまでできていたあと少しの粘りがなくなりつつあることは自覚していた。多忙な時期が続いた事もあり、少しずつ少しずつ疲労が積み重なっていた。
気がついた時には、読書が出来なくなっていた。

子供のころから読書だけはどれだけコンディションが悪くてもできることだった。正確に言うと、大人になって、双極性障害Ⅱ型という診断を受けてからは、「躁状態の時は」読書が難しかった。すぐに他のものに気が散ってしまうのだ。ただ、うつ状態の時でも読書は比較的自分にとっておっくうではない行為だった。それくらい、昔からずっと当たり前のように続けている行為だったから。ただ、休職前の1ヶ月はそれができなくなっていた。

休みに入って1ヶ月間、まずはただただ休養をとった。寝たいだけ寝た。寝た、といっても根っからの不眠症状であるため、ただ体の重みに身かせて寝転がっていた。
少しずつ睡眠をまとめて取れるようになってきた頃、ふと試みたら再び読書ができるように戻っていた(自分にとって読書ができないというのは最悪のバロメーターなのだとも再認識した)。
そこから2カ月は復職に向けて体力づくりを最優先して行っていたが、並行して読書も進めていた。
いま、このタイミングでの読書でしかできない体験があると思った。周囲に申し訳ないと思う気持ち、自身の健康に対して抱いている不安、「あの時あれができていれば」という数々の後悔。
それを強く持っているいまだからできる読書体験がある。そう思った。

結局、本を読めるようになってからの2カ月で18作19冊を読んだ。
実際にこの約19冊を読みおえて、確かにこのシチュエーションでないと感じられないものがあったと思う。特に誰かの選書を読んだわけでもなく、「なんとなく」この本達を選んで読んだ、そのなんとなくが自身の中で自然に繋がりをもって立ち上がっていくことをもって、あらためて自分自身にとって読書はレジリエンスなのだとも思った。だから、少しずつ本を読んで考えていった道筋をnoteにまとめていきたい。

必ずしも今回読んだ本だけからまとめるとは限らないけれど、最後に、この機会に読んだ本を列挙しておこうと思う。

休職をすることで周囲に迷惑をかけたことはずっと頭の片隅に、蜘蛛の巣のように細かく、でも確かに網をはっている。それでも必要な期間であったと思えるよう、この読書体験を信じたい。

石井正己「『遠野物語』を読み解く」
山口尚「日本哲学の最前線」
百田尚樹「海賊と呼ばれた男」(上・下)
若林正恭「ナナメの夕暮れ」
ブレイディみかこ「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー」
ブレイディみかこ「ブロークン・ブリテンに聞け」
小川糸「ライオンのおやつ」
宮島未奈「成瀬は天下を取りに行く」
原田マハ「サロメ」
朝井リョウ「スター」
高野慎三「神保町『ガロ編集室』界隈」
カズオ・イシグロ「遠い山なみの光」
アンソニー・ホロヴィッツ「絹の家」
アンソニー・ホロヴィッツ「モリアーティ」
國分功一郎「はじめてのスピノザ」(再読)
國分功一郎「目的への抵抗」
ハンナ・アーレント「人間の条件」(再読)
鷲田清一「弱さの力」


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