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自己肯定感の低いあなたへ|丁寧な暮らしについて考える

みなさま、こんにちは。
東井れもん(とういれもん)と申します。
本日は自己肯定感の低い私が
「丁寧な暮らし」について考えてみようと思います。



丁寧な暮らしとは


最近「丁寧な暮らし」という言葉をよく耳にする。
美味しいコーヒーを淹れたり、インテリアにこだわったり、出汁をとったり、念入りにスキンケアをしたり、部屋にお花を飾ったりetc……

何をするかは人それぞれだが、
そういったことを丁寧な暮らしと呼ぶらしい。


分かりやすくいうと丁寧な暮らしとは
自分のお世話に手間やコストをかけることだ。


自己肯定感との関連性


それでいうと私はその自分のお世話とやらがとことん苦手だ。私は心のどこかで自分に時間的・金銭的コストをかけたくないと思っている。自分にはコストをかける価値がないと思っているから、自分のお世話を丁寧にすることができないのだ。これにはもともとの自己肯定感の低さが関係しているように思える。


丁寧とは程遠い過去


自分の身の回りにかかる手間やお金はできるだけ省きたい。実家で暮らしている間(生まれてから21歳頃まで)は特にその考えが強かった。

低コストで生きる。それが私のモットーだった。
例えば、猛暑日にクーラーをつけない。水を飲まない。部屋が暗くても電気をつけない。電気代・水道代をかける価値が自分にはないから。そして驚くべきことにそれらを実行している自分は偉いと思っていた。自分は扶養されている存在だから出来るだけ''場所''をとらないよう心掛け生活していた。

そして、私は自分をネグレクトして喜んでいる節があった。例えば、爪を切らない(これ結構不便)とか寒い部屋の中をわざと薄着で過ごすとかそういうことを頻繁にしていた。

また、昔から人の顔色ばかりうかがって、何事も人の意見に合わせるようにしていた。自分の世話をするには自分の心の声を聞いてやる必要がある。
例えば、暑い(→クーラーをつける)寒い(→ストーブをつける)、〇〇が食べたい(→買うor作る)など。しかし、私の場合は寒いと思っていても周りの人間が「暑い」と言えば自分の心の声を押し殺して扇風機のスイッチを入れてしまうのだ。そうやって自分の声を無視し続けているうちに心の声が聞こえなくなってしまった


現在


結婚してからは良い方向に変わってきているが、今でもまだその名残はある。娘や旦那が一緒にいれば(旦那、娘はコストをかける価値のある人間だと思っているので)照明もエアコンもつけるが、ふと一人になると電気の消えた暗くて寒い部屋にいることもしばしば。
自分のお世話がとことん苦手な私だが、それでももっと豊かに、丁寧になれるだろうか。

私が考える丁寧な暮らし


ここからは私なりの丁寧な暮らし(超低燃費モード)を考えてみようと思う。

まず、真冬は靴下を履こう。真冬とは言わず真夏以外は靴下を履く。洗濯する手間や光熱費のことは一旦置いておいて、とにかく履こう。夏は倒れる前に水を飲もう。たとえ旦那のいない日中であっても野菜や肉を食べていいことにする。お布団に入ったら嫌なことを思い出すより楽しいことを考えよう。わざと化粧を落とさず寝るのもやめる。自分を傷つけたい気持ちになっても普段大切にしている自分のお世話を台無しにするのはもう禁止。部屋の中では灯りをつけよう。誰かに向けられた過激な投稿ばかり見て傷付く時はSNSを閉じる。トイレに行きたい時はトイレに行こう。大好きな散歩を自分から奪うのもだめ。続けよう。自分が右だと思ったら右の道を歩こう。おひさまの光にあたろう。気が付いたら伸びをしよう。夏は涼しく、冬は暖かくしよう。

おわりに


以上が私の''ていねい''の目標だ。
世の中の人が想像するものとはかけ離れているだろうが、自分のお世話に手間やコストをかけている点を鑑みるとこれも立派な「丁寧な暮らし」だ。
こういうことの積み重ねで自己肯定感は焼きたてのコッペパンみたいにふっくらとしてくるに違いない。誰かに大切にされるのも素敵だが自分で自分を大切にすることこそが「丁寧な暮らし」の大事なポイントなのかもしれない。


東井れもん

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