光る君へ 第40回|かりそめの世でもがく人は皆かわいい
なぜか今回は過去一、
マトリックスに入れなかったというか、
ドラマの世界観にいまいち感情移入ができませんでした。
行成、帝、そして中宮様の心苦しさ、
憤りが伝わってきて、
内容はとても面白かったのですが・・・。
重たく暗い出来事に翻弄されている人物たちは、
正しいや間違いも無く、善悪も無く、
みな等しくかわいいなと思ったのが正直な感想です。
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誕生日の「誕」という字は
「でたらめ、いつわる」という意味。
そして命日は「いのち」の日。
つまり、人がこの世に生まれるときは
いつわりの世界で生きることであり、
亡くなるときにやっと、本当の命になれる。
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このような言葉があるように、
わたしたちが生きているこの世界は
かりそめであります。
かりそめの世界、
つまりマトリックスの中にいるわたしたちは、
それに気付かずに一生懸命生きています。
マトリックスから抜け出すことに気付いたら、
生きるのはラクになりますが、
夢中になれる面白さ、楽しみは減ります。
どんな風に生きていきましょうか☺
さて!
マトリックスのこの世のさらにマトリックスの
ドラマ観賞(笑)
ドラマに入り込めないからといって、
書きたいことが無いわけではありません。
道長様、ついにやってしまいましたね!
華やかな平安貴族の舞台から
道長様主体の権力争いへと
回が増すごとに重たくなってきています。
(争いではありませんね、ほぼ無双です)
帝が体調を理由に退位の意を示し、
せめてもの願いとして
「敦康親王を東宮に」と、
これは本来のあるべき慣習通りで
帝はもとより、中宮様、多くの人の当然の想いでした。
ただ一人、道長様を除いては。
今回ほど行成の立場の苦しさを
感じることはなかったですね。
誠実な人柄であるがゆえに
その葛藤もさぞ強かったと思います。
足早に道長様へ帝の意を伝え、
「行成あってのわたしである」と
道長様の言葉の後、
笑顔で二人は絆を確かめ合いましたが、
道長様が去った後の行成のため息と暗い表情に、
本意ではないことからの心労が表れています。
そして道長様から中宮様への報告。
このシーンではカメラのぐらぐら揺らぐ
手ブレの撮り方が印象的でした。
今までにない中宮様の湧きあがる怒りを
表現していると思われます。
あんなにも奥ゆかしく控えめだった中宮様が、
父へ見事なエネルギーをぶつけました。
(中宮様!あっぱれですぞ)
史実では、賢后と称され、政務全般に関わったとされる中宮様。
このときの憤りや無力感が
その後の中宮様の賢后と称されるほどの成長意欲を
搔き立てたのでしょう。
「中宮なぞ何もできぬ!愛しき帝も敦康様もお守りできぬ。」
「藤式部、なにゆえ女は政に関われぬのだ。」
そっとそばで支えるまひろ。
中宮様のこの言葉は、かつてまひろも抱いていた想い。
まひろには痛いほど気持ちが分かります。
そしてこの二人の後ろ姿のカットで、やっと、
ぐらぐら揺らぐカメラが落ち着きました。
気持ちに寄り添うことで絆が強まる女同士。
中宮様とまひろの関係は、
かつての皇后定子様と清少納言のようであり、
そしてそれは、権力で強まる男同士の絆とは
相反するものなのだという比喩のようでした。
孤高の道長様。
道長様をこれまで慕ってきた仲間たちは、
もはや道長に権力があるからこそに変わっています。
悲しいことが続きますな。
前回は道長の敵・伊周殿、まひろの弟・惟規が亡くなり、
今回は帝が亡くなり。
イケメンが三人ももう見れなくなるなんて←
(目の保養となる麗しき俳優さんが多くて♡)
そうなると、また新たなイケメンが登場しましたね。
直秀を彷彿させる双寿丸!
彼の登場でまひろの娘・賢子はどうなるのか・・・
ちなみに次回はいつもと放送時間が違うそうですので
リアタイ勢はどうぞご注意ください。
(第41回 10月27日(日)夜19時10分~)