個展をする 2024/05/29
個展をする。
これは、自分の中からでてきたしたいこと、ではなく、誰かに言ってもらったからしたくなったこと、だった。
美術を専攻していたわけでもなく、美術家でもないわたしが、個展をする。しかも、絵の。絵とは一体。そして、表現とは一体。
いや、本当はわかっているのだ。自分自身が自分自身のアーティストであるということは。だから、自分から出てくるものは全てアートであり、つまり全ての人はアーティストありクリエイターであるということは。それが、「自分のうちからそとに出る」だけで、こんなに難しく感じるということをのぞいては。
当たり前にみんなアーティストでクリエイターだ。生きているということは、存在しているということは、既に自らを表現しているということだし、存在を受容されている、愛されているということだ。それがこの世界で、この世界の理で、わたしたちはそのことをすっかりわすれて、全力で地球ゲームを楽しんでいる。
紙一重(仮)の差で、そういうふうにみるだけで、全く違った世界がそこに姿をあらわす。常に共存しているその裏側の世界を、ただそのまま描いたものがわたしにとっての絵かもしれない。
それは、その人であり、今であり、過去であり、未来である。永遠であり、魅力であり、豊かさであり、そうでしかないものであり、そうではないものでしかないものでもあるかもしれない。つまり、'わたしにみえた'ここにあるものを、そのまま描いている。
個展を開催するにあたり、フライヤーの制作をお願いした。初日がきたにも関わらずまだ作成中のそのフライヤーは、ここ数日でやっと足を踏み出したような感じになっている。そこに、わたしは今回の個展開催にあたり、紹介文を書いたのでそれを紹介したい(実際は少し変わる可能性あり)。
その少し前にインスタLIVEで個展についての想いなどを話させていただき、そこから少ししてこの言葉を書いたとき、わたしにとって今回の個展が今の自分と繋がったのをじわじわと感じた。つまり、自分事になった。
開催することを決めておいて、自分事ではないとはどういうこと?!と思う方もいらっしゃるだろう。でも、わたしにとってはそういうものだった。タイミングが合ってしまったので器だけが先に用意されて(すると思い立ったときにもう会場が決まっていた=現地にいた、から)、そこにはまるのに相応しい自分を、在り方を、その場で表現することを模索してきた。自分で、ここまで模索しているとは知らないまま、ずっと内側で向き合っていたらしい。
よく分からないエピソードかもしれないが、わたしにとってはなんともわたしらしいエピソードで、「ちゃんとしないといけない」からと形だけをせっせと進めなくてよかった。始まってからも育っていく、でもその全てが完璧で完全なんだということを、この身をもって体験できて、わたしはこのnoteを書いている今とても幸せで感激している。独りよがりでもいい。だってわたしの個展なのだ。わたしのためにわたしが開催することを決めたわたしの個展。それが全てで、それ以上でもそれ以下でもないのだ。
はー、スッキリした。
あとは全力で目の前のことに取り組んで、楽しむだけ。それもまたプロセスで、会場外で起きていることも含めて、全部がわたしの今なのだ。
2024/05/29 (136/366)
個展の概要はこちらです! ※随時更新予定
タイミング合う方、ぜひお待ちしております。
初日終わって、の、インスタLIVEです😚🫶🏻🌿