今日の洗濯物
今は令和6年7月10日午前10時26分
先月末で会社をたたみました。
自分の愚かさが全ての原因です。
コロナヴィルスイ感染症ではなく、
働き方改革や特定業種の人材不足でもなく
僕の愚かさが全ての原因です。
会社は妻と共に二人で起こした会社です。
妻は仕事が本当に大好きで一生懸命で
身体が痩せ細るほど一生懸命で
慈悲深くまるでマリア様のように働いていました。
妻は僕の愚かさによる被害者です。
丁度今年の桜の散る頃に、妻と充分に話し合い会社をたたむことと、
その後のことを決めました。
妻は27年前に僕達が独立する前に勤めていた会社で働き、
僕は次の仕事をまた妻と二人で規模を縮小して
再出発する為の準備をすると、二人で話し合い決めました。
元の職場にお願いして働かせてもらうと言うこと。
それはかなり妻にとって残酷なことです。
でも残酷さの部分だけは話し合いの中ではお互い一切話してはいません。
わかっていても言葉にしないと言うのが何故か僕達二人にとって
残酷な暗黙の了解になっています。
会社をたたんでから10日ほど経ちました。
昨日まで妻はとても疲れていました。体調も良くなく
昨夜は少し口数の少ない感じがしました。
今日、7月10日は妻が元の職場に出勤する最初の日でした。
自宅から徒歩20分程の場所にある元の勤務先まで車で送りました。
勤務先から少し離れた場所に車を停めて、ほんの数秒、3秒くらいでしょうか、
お互い何も話さない辛い一瞬の沈黙が狭い車内を
モノクロの画像様な雰囲気に変えました。空は晴れているのに。
その一瞬の沈黙の後に、に僕を一瞬見ながら笑顔で
「じゃあ、行って来るね」と言い職場に行きました。
の前半の「じゃあ」のあたりで僕はフロントウインド正面に目を向け、
目線をそらしました。見れなかったです。
妻はサイドウインド側に身を反しながら「行って来るね」と言いながら
ドアを開けて、憎いほど晴れた酷暑の車の外へ。
助手席ドアがガチャンと閉まって5秒後くらいに
ダッシュボードからほんの少し上に目線を移したとき、
僕の視野に入った妻の痩せた後ろ姿が目に焼きついて
僕は一生忘れられないです。
こうして書いている最中でさえ、
妻の後ろ姿のフィルター越しに字を見ています。
小さく痩せた真っ白なワイシャツの背中、上半身は何かに挑むような少し前傾、
両手はグーのまま少し強めに握っている。
彼女は何に挑み、握った拳の中にある、悲しさ、悔しさ、怒り。
僕はこういう状況下、ボーっとすることが出来ず、
家にある何か、事務処理でも、掃除、洗濯、
なんでも片っ端からやっていないと
精神のバランスを保つことが出来ずにいます。
今、時計を見ると10時35分です。
妻を送って帰宅してすぐに洗濯物を乾燥機に入れました。
通常乾燥運転から仕上げの冷却運転が終わって、
おそらく乾燥機の中の洗濯物はシワクシャのまま冷却されたので、
いくら四隅を揃えキチンとたたんでもやっぱりシワクチャはシワクチャ。
でも今はそのシワクチャのままの衣類を
いっそこのまま着てしまいたい様な気もしますが、
やっぱりもう一度初めから、濯ぎ洗いだけじゃなく、洗剤を適量にちゃんと
洗い直し、柔軟剤はほんの少しだけ多めにし丁寧に優しく洗って乾燥させ、綺麗にたたんで、白いワイシャツはシワ一つ残さずアイロン掛けしておこうと思います。
おわり
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