モグリ

思い描けば「人生は思ったとうりになる」 そんな訳ないよ 「人生は行ったとうり」にしかな…

モグリ

思い描けば「人生は思ったとうりになる」 そんな訳ないよ 「人生は行ったとうり」にしかならない。 友達も少なく、家族に薄く、体も弱く、 随分先の様で明日の様な、何かあったその時のために 「なんだ、そんな事考えていたのね」的に書いています。

最近の記事

atelier moguri omotesando

atelier moguri omotesando 以前居住していた表参道のマンションをどうするか悩んだ末、 アトリエにした。 最近の動画SNSでは地価が190%も上昇しているそうで ネット査定が30秒で出るらしいのですが、(苦笑)やっぱり売却はしない。 ずっと乃木坂のマンションに燻っていても全く生産性がなく 賃貸マンションっというのはなんとなくアウェイ感があり、 ギターを弾くにもなんとなく気を使って、テレキャス指引きが騒音の限界。 一時期は青山表参道なんてもう運もゆかり

    • トリプル最強開運日

      今日、7月29日は天赦日、一粒万倍日、大安の3つの吉日が重なる 「トリプル最強開運日」だそうで、乃木坂駅構内に沢山のポスターや吉日にあわせたイベントのお知らせが貼ってありました。 貪欲にガツガツ仕事をしていた頃は財布を新調したり、 何かとソワソワ気持ちばかりが先走っていました。 しかし今は職もなく、さほどガツガツ考えなくなりました。 今の自分なりの「トリプル最強開運日」の過ごし方を 地下鉄乃木坂駅から一駅の表参道駅までの5分位の時間で考えました。 人と接する時は普段よりほんの

      • 今日の洗濯物

        今は令和6年7月10日午前10時26分 先月末で会社をたたみました。 自分の愚かさが全ての原因です。 コロナヴィルスイ感染症ではなく、 働き方改革や特定業種の人材不足でもなく 僕の愚かさが全ての原因です。 会社は妻と共に二人で起こした会社です。 妻は仕事が本当に大好きで一生懸命で 身体が痩せ細るほど一生懸命で 慈悲深くまるでマリア様のように働いていました。 妻は僕の愚かさによる被害者です。 丁度今年の桜の散る頃に、妻と充分に話し合い会社をたたむことと、 その後のことを決め

        • 宿命の隔世遺伝

          少しだけ祖父のことを書き記します。 僕の母が小学校に入学して間もなくの出来事。 逆算すると母は昭和12年生まれなのでおそらく昭和20年、 終戦前の家族の大きな出来事。 同じ苗字の一族が集まって住んでいる(周囲が何らかの形で親戚) 田舎の海辺の街では比較的裕福だったであろ母方の一族で 本家筋とでも言えばいいのか僕が写真でしか顔の見たことのない 祖父の孫六お祖父さんは戦争には行っていない。 子供は順番に、長男、次男、長女( 僕の母)、三男、四男と5人。 戦争に行かず働かなくとも子

        atelier moguri omotesando

          危険なDNAと血脈

          家族のこと自分のこと 本日をもって定年引退するのだけれど、寂しいさとか悲しみとか、そう言った悲壮感は正直ありません。 先々の生活に不安もなく、何とか生きていくことはそう難しくない様な、若干投げやりな自信がどこかにあります。 しかしこの「若干投げやり」が、今の自分には少しだけ気になるのです。 というのも、母方の祖父、母方の叔父2名、父方の祖父、父方の叔父、そして兄と父全員が、離職のタイミングが早く比較的短命なのです。 この種の系譜の話は、物理的な遺伝や家族内の同じ生活環境から似

          危険なDNAと血脈

          記録

          令和6年4月30日 還暦を目前に僕はInstagramとfacebookを退会しました。 40年近く続けた仕事も辞めようと決意した。 忘れもしない1996年11月23日小さなサロンをオープンして 気づけば還暦になるまで続けることが出来た。 僕たちの仕事はまるで花火の様だった。 線香花火から始まり、時には台風で中止になったりした。 最後の花火は夜空に高く大きく広がり夜の海面を一瞬照らし 次は火の粉となって暗くなりながら海と夜空の間に落ち消えてゆく。 これでいいんだ。十分満足だ。