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「落下の解剖学」

落下の解剖学
2023年フランス
監督ジュスティーヌ・トリエ

雪積もる山荘で見つかった、男の不審死。
殺人が疑われ、容疑者となったのは彼の妻である小説家。
最重要証人となったのは、視覚障害のある11歳の息子だった――。

という設定だけでドキドキさせられてしまう本作が早くもアマプラに登場。カンヌパルムドール受賞作のミステリーということで、嫌でも期待してしまう。

事前に、『証人の数だけ真実がある』といった紹介文を目にすることが多かったので、黒澤明の「羅生門」みたいな作りなのかと予想していたが、そこはそうでもなかった。

「羅生門」では、事件にまつわる各証人の言い分が等しい説得力で描写され、徹底的に相対化されている。そのため、観客は証言を聞けば聞くほど事件の真相がわからなくなってしまうのだが、本作は、むしろ逆だ。

本作は、裁判が進行するにつれ、一見矛盾する証言が積み重なっていくことで、点と点が線になり、一つの家庭の姿が生々しく浮かび上がってくるような作りになっている。確たる物証ははない。夫婦の言い分は食い違っている。関係者はそれぞれの解釈で証言する。証言が食い違うからこそ、よりリアルに、より立体的に、世間には隠されていた夫婦の諍いがジリジリと炙り出されてくる様は圧巻だ。

そんな裁判を傍聴することで、それまで気づきもしなかった両親の苦しみを突きつけられた11才のダニエルは傷付き、戸惑う。ただし、全ての証言は状況証拠からの推測に過ぎず、裁判で浮かび上がってくる夫婦像が真実なのか虚像なのか、息子であるダニエルにすら判断できない。だが、裁判である以上審判は下されることになる。一体、真相はどのようなものなのか? 大人たちの証言を聞いたダニエルは、自身の記憶を探って一つの仮説に辿り着き、自らの意思で最後の証言を行う。そして下された判決は――……。

ネタバレになるので、これ以上は書かないでおこう。ただ、エンドロールが流れ始めた瞬間に、スッキリしている人はあまりいないように思う。

それは、事件の真相がどうのというよりも(実際、その判決が正しいと確信を持てるようには作られていない)、裁判によって浮かび上がってきた家庭の姿が、あまりにも身も蓋もないものであったからの気がする。

幼い子どもの事故、親の責任、子の障がい、子育て方針、仕事や居住地、ジェンダーロール、国際結婚、多言語コミュニケーションなど、現代の家庭生活をややこしくするあらゆる要素がこの家庭にはあり、争いと苦しみを生んでいた。

これらの、裁判所が白黒をつけることができない種類のものごとが、たった三人しかいない家族の中にどうしようもなく渦巻いていて、一人が死んだ。この事実が、判決とは関係なく、残された家族をこれからもずっと裁き続けるのだろう。

上質なミステリーではあるが、最後に全ての謎が解けスッキリするような作品ではない。重たい余韻を残して、何がどこまで誰の罪なのか、ずっと考えさせられるような映画だ。

最後に、息子役のミロ・マシャド・グラネール君とペット役のワンちゃんに拍手して終わりたいと思う。君たちがいなかったら、途中でリタイヤしてたかも。マジで。それぐらい重苦しく、逃げ場がない。

まあ、家庭の争いって、そういうものだといえば、それまでだが。

2024年10月

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