英彦山・雪山登山で南岳頂上からの下山ルート【材木石、大南神社、鬼杉、玉屋神社】
前回の「英彦山・雪山登山で南岳登頂してみた【梵字岩、四王寺の滝(氷瀑)、南岳】」では、登山開始から南岳山頂登頂までをご紹介しました。
ラストとなる今回は、下山までの後半部分をお届けします。
途中、あたり一面が雪に覆われ道標がなくなっており、遭難しないためにルートを変更したり、想像以上に険しい道が続いたりといくつかのハプニングに遭遇しましたが、無事に下山に成功し、結果として新たな学びを得られたことはとても貴重な経験となりました!
前回
前々回
材木石【大自然の幾何学シルエット】
山頂での休憩と温かい食事のおかげで体力が回復し、良いコンディションで下山ルートに臨みます。
登りとは異なるルートで、まずは「大南神社」を目指して進みます。
しかし下山直後からトラブルがありました。事前に決めていた下山ルートにはトレース(足跡)がなくなっており、トレースなしで進むかルートを変えるのか悩みました。
事前に決めていた下山ルートは距離も短く初心者向けのルートだったため日が暮れる前に少しでも早く進むためにも通りたかったのですが、木々で入り組んでおり友人とでお互いに自信がなかったため、遠回りになるもののトレース(足跡)のあるルートを通って下山することにしました。
結果としてはトレースのある道を選んで正解でした。
ヘトヘトにはなりましたが遭難せず、またより多くの名所を回れました。
さて、しばらくするとそれまでと全く異なる地質の岩盤地帯が広がっていました。
MAPで確認してみると、そこは「材木石」と呼ばれるスポットでした。
材木を積み重ねた様なシルエットの岩石であることから、そのように名付けられたそう。
これは地質学的には安山岩の「柱状節理」と言われる形態だそう。
火山で噴出したマグマが急激に冷えて固まる
冷たい地面や空気との接触で冷却され、直角に割れ目が生じる
その割れ目に空気が入ることで面が冷却される
面の割れ目が垂直方向に広がる
というプロセスで形成される様です。
また、英彦山に伝わる鬼杉伝説によるとこの岩は
「鬼が社を建てようとして伐り出した材木の残り」と説明されています。
大自然に存在する幾何学的なシルエットは、とても神秘的でした。
大南神社(大南窟)【英彦山神宮の末社】
南岳山頂から下山すること約50分、大南神社(大南窟)に到着。
この神社は英彦山神宮の末社で、かつて修験道が山にこもり修行をしたという英彦山49窟のひとつです。
※窟(くつ、いわや)とは岩山を掘って造った住居の事です。
御祭神は「天火明命(あめのほあかりのみこと)」で、神仏習合時代は「不動明王(ふどうみょうおう)」を祀っていたと記してありました。
この規模の窟をどのようにして掘削したのか、また当時はここでどのような祭祀や修行が行われていたのか、非常に興味深かったです。
社殿の脇には、護摩焚き(願掛けした木札を燃やし、成就を祈願する行事)のような炉があり、護摩木を燃やした後の炭がありました。今でも当時のような行事をされているのかもしれません。
写真のルートからは賽銭箱など参拝のための場所は見当たりませんでしたが、社殿に向かい合掌してからこの場所を後にしました。
【余談】
英彦山神宮の御本殿には「天忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと)」が祀られています。この神様は、伊勢神宮に祀られる「天照大神(あまてらすおおみかみ)」の御子(=日子)であることから、この山を日子山(後に英彦山)と呼ぶようになったそうです。
大南神社に祀られる「天火明命(あめのほあかりのみこと)」は、この「天忍穂耳命」の子(書物によっては兄弟)とされています。
「天照大神(伊勢神宮)」→「天忍穂耳命(英彦山神宮御本殿)」→「天火明命(大南神社)」という系譜ですね。
この後に紹介する玉屋神社に祀られる「瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)」「猿田彦大神(さるたひこのおおかみ)」をはじめ「宗像三女神」「高皇産霊神(たかみむすびのかみ)」など、英彦山には名前の由来のごとく「天孫降臨(てんそんこうりん)」に関わる天津神(あまつかみ)、また国神(くにつかみ)が祀られています。
※興味のある方は「天孫降臨」を調べてみてください。
鬼杉【推定樹齢1,200年の巨大霊木】
前節でも触れた通り、途中から急にあたり一面の積雪で足跡や道標がなくなってしまいました。
迷ってしまうと遭難する危険性が高いため予定ルートを変更し、鬼杉を目指すことにしました。
大南神社から歩くこと約30分。
ひたすらに雪道を下山し目的地の「鬼杉」に辿り着きました。
その雄大さは「圧巻」の一言でした…!
これまで見たこともないほどの巨大な生命。梵字岩と並ぶ、まさに大自然でした。
両手を広げても届かないくらいの直径と、少し後ろに下がらないとてっぺんが見えないほどの高さがあります。
上部の1~2割くらいは過去の落雷(?)か何かで風化し本来の姿を失っているそうなのですが、それでも規格外の大きさです。
脇にあった休憩所で温かいお茶を飲みながら、しばし荘厳な鬼杉を眺めていたのですが、気がつくともう西日が刺し始めていました。
日没までに下山するため、先を急ぎます。
【余談】
推定樹齢1,200年、樹高約38m、胸高あたりの幹の周囲は12.4mにもなるとのこと。国の天然記念物に指定され、林野庁発表の「森の巨人たち百選」に選ばれるなど、福岡県最大級の巨木だそう。
1,200年前の日本というと、平安時代、平安京遷都の頃です。
かの有名な僧侶「空海」や「最澄」が遣唐使として唐の国へ渡航し、密教や禅宗などの教えを日本に持ち帰った頃です。
この頃より英彦山では前述の護摩焚きなど修験道による勤行が盛んに行われていたようですから「その当時に芽生えた小さな木が数多の歴史と共にこの地に残っている」と考えると感慨深いです。
以前に紹介した「材木石」とこの「鬼杉」にまつわる伝承がありましたので、紹介いたします。
玉屋神社(玉屋窟)【英彦山開山の始まりの地】
鬼杉を出発してから約1時間、最後のスポットである玉屋神社(玉屋窟)に到着しました。下山を急ぐ焦りと疲労感からか、建物を発見した途端に例えようのない安心感に包まれました。
英彦山に存在する49か所の窟のうち、ここ玉屋神社の窟が最も古いとされているようです。(英彦山「彦山流記」)
玉屋神社の社殿と並んでいくつかの小さなお堂が建てられていました。
また、社殿の右端の岩盤から湧き水が流れていて、水を汲めるようになっています。
凍てついてできた氷の層の下を渾々と湧き出る水が流れ、まるで生き物が動いているような、とても不思議な現象を見ることができました。
玉屋窟の湧き水は、古来より不老長寿の霊水とされ、日本三代霊水の一つに数えられるそう。しかし、筆者はお腹があまり強くないため今回はやめておきました。笑
下山まで残る道のりはあと少し。
しかし見渡す限りの大自然、油断は禁物です。
玉屋神社でも足を運ぶことができたご縁に感謝と残る道程の無事を祈り、手を合わせてから出発しました。
下山までの道のり
あとは登山口を目指してひたすら下山です。
が、正直このセクションが肉体的にも精神的にも一番きつかったです。。
午後から陽が出てきたことで雪が溶け始め、靴底に装備したアイゼンに雪の塊がまとわりつきます。数歩歩くだけで雪合戦の時の雪玉のような塊ができ、とても歩きにくい。こまめに振り払う以外、どうしようもない。
さらに山道のアップダウンが激しく、これまでの疲労もあってかなり体力を消耗しました。これまでよりも多くの水分補給が必要になり飲み水が底をつき始めるなど、頭の中では12R開始のゴングが鳴り響きました。
直線距離にして100mを進むのに30分弱かかる場所もあり、気が遠くなるような思いです。しかし、一歩ずつ確実に進みます。
いくつかの沢を抜け、奉幣殿まで残り1kmのあたりから足場がなだらかになりはじめました。よかった…!!!
ここから一気にペースアップ!
だんだん道が開けてきて、スタート地点だった奉幣殿が見え始めました。
ついに登山口に帰着!!一気に安堵しました。
時計をみると、時刻はすでに16:30頃。
あと30分下山が遅れていたら、陽が沈み遭難の危険がありました。
ひとまず友人と無事の下山を祝い、石段から下の駐車場までゆっくり散策しながら帰ります。登山の感想を話しながら降りていると、とても綺麗な夕暮れを見ることができました。
なんと美しい。。
雄大でノスタルジックな景色が広がっていました。
夕陽を見つめていると、今日の英彦山の景色が走馬灯の様に頭を駆け巡ります。
「いつまでも眺めていたい」そんな余韻に浸りながらも、無事に帰りつけるよう日が沈まないうちに福岡市内を目指して帰途につきました!
終わりに
いかがでしたでしょうか。
初の雪山登山だったので反省点は山ほどありますが、それを超える数々の感動を得られ一生の思い出となる経験となりました。
この素晴らしさが少しでも伝わっていれば、また英彦山に興味を持っていただくきっかけとなればこれ以上になく嬉しく思います。
2024年も、修験道にゆかりのある山を中心に、他の山にも登ってみたいと考えていますので、その際はまた記事でご紹介いたします!
おまけ:登山ルートの動画
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