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京都時代の中原中也の集合写真考察-6


写真1:旧制立命館中学在学中の中原中也が写っている集合写真:前列右端の生徒が中原中也

京都霊山護国神社の境内の現地写真を基に古写真の撮影地の考察を進めます。
境内南側にある木戸孝允公神道碑の周辺石垣が当時の写真と特徴が似ており、当時の写真とは建立位置が異なりますが大きさや各部の特徴の似ている大きな六角石灯籠もありました。この付近で生徒たちが並び写真を撮ったのではないかと推測しました。

(写真2)現在の京都護国神社南側入り口と木戸孝允公神道碑の周辺

写真2は境内南端の入り口付近のものです。右側石垣の上部の木陰の中に石の柵が見えます。この奥が木戸孝允公神道碑のあるあたりとなります。道路が境内より低いところ作られていることがわかります。
(注:この写真の石垣上部の日の当たる柵は古写真にある右上の柵とは異なります)
現在の境内の地面は灯籠や看板の直後に見える柵のところにあります。当時の写真では地面と右上の石垣との高低差は人間二人分くらいの高さですから、石垣の上部と境内の地面の高低差は当時の写真よりも大きいように見えます。この境内の地面も当時よりも低く掘り下げているのかもしれません。

(写真3)現在の京都護国神社南側道路(左)と霊山歴史館(右)

写真3を見ると右側にある霊山歴史館の石垣が高くなっており左側の神社入り口の石垣より地面が高いことがわかります。この道路はかなり地面を掘り下げて作られたことがうかがえます。元の地面の高さはわかりませんが古地図と現代地図比較しても斜面を開削していることがわかります。
 
写真2を見ると現在は六角石灯籠は境内入り口前とかなり低い場所に建っています。背後や側面には廻りこめないので建立年月などの刻印の有無がわからないので、前面から左右と正面を写真に撮ってみました。

(写真4)京都護国神社入り口に建つ六角石灯籠の正面、左右から見たもの

また当時の写真と現在の写真とで六角石灯籠を比較してみます。

(写真5)当時の写真の六角石灯籠と現在の六角石灯籠を並べて比較したもの

現在、境内入り口にある灯籠は近づいてみると、目線や頭の高さがほぼ火袋の下部から受鉢くらいになり当時の写真の灯籠と大きさもほぼ同じとみられます。尚、現在の写真は灯籠に近づいて撮っているので見上げた感じになります。そのため少し遠くから写している当時の灯籠の写真とは宝珠や傘など上部になるほどパースが一致しません。
灯籠の写真を当時と現在と比較してみると(写真5)、宝珠や傘の形状、火袋の左の三日月状の穴、受鉢に装飾があること、柱の中ほどに凸部があることなど各部の特徴も似ています。各部分の高さや幅も近似しています。


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