京都時代の中原中也の集合写真考察-7
古写真の撮影地の考察の続きです。
次に当時の写真右上に写っていた石垣とみられる箇所をみてみます。
ここには木戸孝允公神道碑が建てられており、周囲は石垣と柵に囲まれています。この木戸孝允公神道碑は1913年(大正2年)に建立されており、古写真のとられた時期にはすでに存在しています。
木戸孝允公神道碑周囲は地形が大きく変わり当時と同じ撮影位置に立つことはできませんでした。写真6では植栽が生い茂り、木が大きく成長していることもあり全体が見渡しにくくなっています。奥にも石の柵があるので写真7に撮ってみました。
個々のディテールを観察すると当時の写真の石垣とほぼ特徴が一致します。写真8に石垣周囲の当時の写真と現在の写真を比較したものを示します。
・綺麗に整形された石が積まれており、上の段は角が直角、下の段は角がカーブして積まれています。
・上の段と下の段との段差は石が2個分の高低差があります。
・石垣の上にある柵には二本の金属の横棒が渡されています。
・石の柵は角から左奥へは6本が連なって建っており、一旦、石碑への入り口で途切れていて、そのあと再び左奥にも柵が連なります。
次に背後の垂直な石垣について検討してみます
背後の石垣は苔が生えていて、カラー写真のままでは個々の形状が見にくいので白黒写真にしました。当時の写真と同様に石の積み方や加工が左右で異なり、境目には縦長の石が積まれています。右側の石垣は比較的きれいに四角く整形された石が整然と積まれ、左側の石垣は右側の石垣よりはきれいな四角には整形されておらず、斜めに積まれているところもみられます。左側の石垣は神社および維新志士の墓地の創建時期に構築されたものと思われ、右側の石垣は大正に入って木戸孝允公神道碑が建立されたころに構築されたものと思われます。