京都時代の中原中也の集合写真考察-(おまけ)
古写真の撮影地の考察のおまけです。
古写真の裏には
「記念にと思う心よあるものか!思い出は淋しきに 思い出は悲しきに 1924.2.1」
と書き込んであるとのことです。
この記事を投稿した2024年年頭は写真を撮られてから100年なのですね。
この写真の撮影場所の京都霊山護国神社の参道はずっと坂を登らなくてはいけません。今は参道は舗装されてますが、昭和初期に撮られた参道の古写真を見ると階段が続いています。
坂道を延々と歩いてたどり着く境内、維新志士の墓地はさらに急斜面の上にあります。
おまけに山口出身の中原中也にゆかりのある長州藩士や木戸孝允・幾松夫妻のお墓は境内墓地の中でも結構坂の上にあります。お参りすると結構足にきます、ホンマに。
寒い中、連続する旧坂を延々と歩いて維新志士の墓地に行った中原中也の心境としては
「こんな坂道歩いてしんどい思いして、何が記念やねん思い出やねん!参道だけでなくて維新志士の墓地も急坂のぼらなあかんやん!めっちゃ悲しいわ!」
とぼやきたくなったのではないでしょうか(笑)
みんなと違って1人だけ学校の帽子被らないし、視線もカメラから外してむくれてますよね。こじらせてます中也さん。
100年目にして明かされる真実(なのかこれ?)、いかがでしたか?
よお知らんけど。