【LGBT】LGBTとキャリアの形成(2)
LGBTのキャリア形成における問題は何だろうか。
稼ぎが少ない層が多く、富裕層とそうでない層とで学力・身体能力・教育・倫理観などに違いが出てきたり、高齢者にも犯罪や素行の悪さが目立ち始めるなど、あまりに多くの問題が山積みの状況のなかで、LGBTへの取り組みが、急ぐ課題なのかを考える。
その1:1億人の「バカの壁」
日本の医学者、養老孟司氏の有名な著書『バカの壁』は2003年に刊行され400万部を超えるベストセラーとなった。
強烈なタイトルだが、実は個々に壁があることが書かれている。
書籍の冒頭にあるように、生徒に出産のビデオを見せた著者が、男子生徒と女子生徒の反応が真っ二つに分かれたことにたいそう驚いたという。
女子生徒の多くが非常にためになった、新しい発見がたくさんあった、と話し、男子生徒の多くが今まで習ってきたことばかりだったと話した。
たしかに子どもの頃、保健体育の授業で出てきた内容だが、大学生になると女性は自分も近い将来子供を産むかもしれないという目線で授業を聞く。
小学生や中学生の頃はピンときていなかったのだろう。
ビジネスの世界で他人事の対義語として自分事という造語が多用されているが、まさに自分事、当事者意識によって同じものが違うものに見えた。
バカの壁とは、このような「わかっていないのに、わかっているつもり」を解説している本である。
知ったのに、わかっていなかった。そして、男性は出産にかんして実感が湧かないから、わかっている自覚があるのに、わかっていない。
わかったときに、違うものに見える。
LGBTについては何度も世間で言われてきたことがあっても、実際に当事者と関わることがあって初めて「わかる」可能性が高い。
厄介なのは、わかっていないことをわかっていないことにあり、わかってから初めてあの頃はわかっていなかったとわかるのだ。
その2:理解したほうがいい理由がない
LGBTは、試しに「なってみる」ことができない。
ところが、「好き」なものであれば、理解しようと試みる。
たとえば異性愛者にとっての異性などがそれである。
仕事をする多くの男性は、女性に対して話を聞いたほうがいいとか、共感したほうがいいとか、悩みや質問に解決できる答えを求めていない場合があるとか、PMSというのが多かれ少なかれあるのだとか、知識として知っていることを実践して、いい関係を築くことに努力している。
なぜそうするのだろう。
恋愛対象でなくても、仕事や家庭や友人関係においていい関係を築くことが必要な場合、或いはそれによって自分も生きやすくなったり満足できる場合、好かれようという気持ちがあれば理解しようとするはずだ。
LGBTと共存するうえで、LGBTと良好な関係を築き、LGBTに好かれることが、どのくらいの人にメリットがあるのか。
例でいう女性を理解することは、積極的に理解したいというよりは、理解しなければ仕事がうまくいかなかったり、共存前提の社会に生きていて、理解したほうが男性も安心して家庭や職場での生活ができるからではなかろうか。
残念ながら、ほとんどの人にとってLGBTは恋愛対象ではない。
あなたにとってアフリカの人たちはどうだろう。
美男美女が好きな人にとって、ブサイクはどうだろう。
英語が喋れない人にとって、外国の問題に取り組むことはどうだろうか。
高齢者にとって若者の貧困や就職難の問題はどうだろうか。
女性は興味があろうとなかろうと理解すべきだと思う。
しかしLGBTは興味があれば理解しようとする。
興味がなければ、理解してもしなくても自分の生活に変化や支障が起こらない。
最後に
LGBTについて、自分にはあまり関係ない人に、どれだけ何かを伝えようとも、聞いているようで聞いていない現象は起きてしまう。
国際政治でも、コロナでも、自分に関係があるとわかった途端、大きな意味を持つ。
現代社会では、たとえ女性になってみることができなくても、女性を理解しようとする理由がある。
代々木公園で毎年行われるレインボープライドや就職説明会にも、多くの企業が協賛やブースへの出店などで賑わうようになった。
しかし、参加企業へのアンケート(※出典が見つかり次第掲載します)によると、LGBTへの取り組みに賛成・前向きだとする一方、具体的な取り組みをしている企業はごく僅かで、その理由は、よく知らない、何をすればいいかわからない、という回答が最も多かった。
「LGBTに賛同する姿勢を見せればイメージアップになる」、結局そのために手を出したことが、素人目にもわかるくらい、あまりにもあからさまだった。
メリットがあれば市場に参入するという、LGBTへの取り組みをブランディングや社会貢献のように捉えてしまった結果だと思う。
月並みだけど、カッコいいLGBTが登場したり、ロールモデルが出てくるみたいな、LGBTを好きになるような状況が、今後生まれていけばいいと願っている。