【LGBT】トイレのこと、ジェンダーレスのこと。
皆さんは、LGBTQ+の方々に、トイレのことを尋ねますか?
春から新しい仕事が始まった方も多いとおもいます。
学生はまだいろいろありますが、とくに就職で人事や会社側が一番気になるのが「トイレはどうするのか問題」だそうです。
うーーん。
何ともずれていますね。
なぜなら、自分で選ぶじゃないですか。
いつ、どこで、用を足すのか。
断りを入れる必要なんてないとおもうのです。
むしろ、面接などで「トイレはどちらを使いますか?」なんて、失礼な質問です。
結論から言うと、多くのトランスジェンダーは、相応しいほうを自分の意思や感覚で選択します。
たとえば胸がある、ヒゲがある、など男女どちらかにしかない特徴を持っているなら、たいていそちらを選択します。
周囲に迷惑をかけてまで、私はこうしたい、こう生きたい、を貫きたいわけではないのです。
周りを困惑させないためにも、より自然なほうを選ぶ努力をするし、もちろん気持ち的に「こっちがいい」というのはあるでしょう。
ただ、必ずしもどちらかに分類されない場合、相応しいほう、より混乱させないほうを選ぶはずです。
もしかしたら、それは日によって違うかもしれません。
そのときのファッションやメイクによって、どちらを使うべきか変えるかもしれません。
周囲から「どうぞこちらを使ってください」と気を遣ってもらうより「好きなほうを選ばせて」とおもいます。
どちらかわからない、またはどう見ても異性だという人に、入ってきてほしくない人が意外といることも知っています(或いはこれまで感じてきました)。
そういう理由から、すでにたくさんの異性装者やトランスジェンダーが、やむを得ない場合は「男女兼用」や「だれでもトイレ」を使用するようにしています。(くれぐれも不倫には使わないでね。)
高齢の方や介護職の方々から、やめてほしいと言われたこともあります。
車椅子など本当にバリアフリーを必要としている人がいたときに、空いていないと困ると言います。
しかし、少なくとも長くかかりませんのでご安心ください。
マナーは守ります。
ごく稀に、だれでもトイレでメイクや着替えをする方もいるようで、私の体感では少ないと感じていますが、それは私たちの側が今後改善しなければいけないことです。
トイレを選ぶのは私たちなりの「周囲への配慮」です。
トランスジェンダーの意思を尊重して・・なんてことよりも、私たちは周りとうまく共存していきたいのです。
周りに配慮してもらいたいのではなく、私たち自身が、少数派として、周りに配慮していきたいのです。
公共の場所では、確かに「選択肢が多い」ことはとてもありがたいです。
同じ空間にいるのは、自分のことなど全く知らない「見知らぬ人たち」だからです。
職場では、同じ空間にいるのは、基本的に「普段顔を合わせる人たち」です。
知っている人たちの前で、トイレを「配慮してほしい」と思う人はほとんどいないのではないでしょうか。
少なくとも、かなり限られるでしょう。
逆に言うと、無条件に「ご覧ください、私はセクシャル・マイノリティです!」と叫んでいるのと同じでしょう。
大変恥ずかしいことです。
個人的な感覚で言えば、LGBTQ+は「離婚」みたいなものです。
関係性もないのに、いきなり「子どもはどちらが育てていますか?」とか訊かれたら、うっ・・となるのではとおもいます。
だいぶ踏み込んできたな、と思ってしまいます。
或いは「離婚していることを周りに言っといても大丈夫ですか?」と言われたら、それ必要ですか?と私ならそう答えてしまいそうです。
つまり、必要なら本人にも確認して伝えたほうがいいです。
必要なければ、公表するのはプライバシーの侵害です。
保険のことや、扶養家族、パートナー、健康診断、何らかの手続き上、必要な情報は共有されないと困ることが出てくるはずです。
それは「ひとり親家庭」と何ら変わりません。
子育ての関係で休むことがある等の場合は、同僚にも伝えておくべきでしょうし、同様にLGBTであることが原因で、業務上周りに負荷をかけることがあるなら、相談の上で伝えておく必要があるかもしれません。
あまりないと思いますが・・。
離婚と同じように、訊かれれば答える場合もあるし、答えたくない場合もあります。
逆に、「シングルマザー(ファーザー)や働く女性を応援したい」など、自ら公表する方もいらっしゃるとおもいます。
それは私たちも一緒です。
同じ境遇の方や、同じ悩みを抱える方の力になりたいと、自ら公表するLGBTもいますし、過去に言ったこと・言わなかったことで、成功や失敗を経験している場合には、それを踏まえてスタンスを決めていきます。
必ずしも全員には周知しなくても、相手によって打ち明けることもあるし、自己開示したうえで人付き合いをしたい人もいれば、親しくなってからカミングアウトする人もいます。
成功体験が少なかったり、年齢や友達や生まれ育った環境などによって、これも離婚などと同じように、本人がそれを(無意識に)恥ずかしいと思ったり、よくないことだと思っていると、言いづらくなります。
30歳前後を境に、理解されなくてもいいんだとか、理解できなくても受け止めて/受け入れてくれればいい、私は私、嫌なことを言う人は自然に離れていく、ありのままの私を肯定してくれた人とこの先仲良くしていけばいい、などなど、今までなかった価値観が生まれる方が多くいらっしゃいます。
きっと、とくに若年層の場合は、今いる友人や環境を失うのが怖いとおもいます。
だからむやみに否定しなくても、時間や経験によって変わっていくものなので、長い目で見ればいいと思っています。
もし当事者の方で孤独だったら、主張や説得をするより先に、特定の人を味方にするか、仲間を探すほうが早いかもしれません。
周り全てを変えていくのは簡単ではないです。
もし、30代以上で言い出せない人がいたら、いじめられた経験があったり、親が反対していたり、今ほど寛容ではない時代を生きてきたからこそ、昨今の常識だけで「気にすることないよ」とか言われると、正直私は10歳じゃないぞっておもいます。
ここ最近、降って湧いてきたわけじゃなくて、30年前40年前にも存在したぞ、というか。
単に可視化されていなかっただけだから、きっと、ずっと長い間、辛い思いをしてきたし、未だそれが続いている可能性があるから、何が当たり前で何が当たり前じゃないのか、ちゃんと聞いてあげてほしいとおもいます。
また、とくに悩んでない人もいるので、全員が「困っているに違いない」と決めつけたり、望んでいない人にまで「何かしてあげよう」とか「相談に乗ってあげたほうがいい」とは思わないほうがいいかもしれません。
ジェンダー(性自認)のマイノリティと、セクシャリティ(性的指向)のそれとは少し異なりますが、同じLGBTQ+と括られるのは多少かぶるからでもあります。
たとえば異性装については、以前は「トランスヴェスタイト」と呼ばれました。
LGBTのTには、本来トランスセクシャル、トランスジェンダー、トランスヴェスタイトの3つの意味があります。厳密な分け方としては、
◆トランスセクシャル(TS)=外科的な手術を済ませている人。または戸籍上の性別も変更している人。
◆トランスジェンダー(TG)=ホルモン治療などで生まれつきの肉体のままで性別を逆転させている人。一部の手術のみの人。戸籍上の性別と生活上もしくは自認・希望する性別が異なる人。または治療に踏み切っていなくてもそのような自覚がある人。状態・状況等に個人差あり。
◆トランスヴェスタイト(TV)=異性装をする人。
①ゲイ男性が女装をする場合
②女性になりたい男性が女装をする場合
③ヘテロセクシュアル(ノンケ)の男性が女装をする場合
④フェティッシュの場合
(長くなるので解説は割愛します・・)
と、こうなります。
今はTSとTGを総称して「トランスジェンダー」としています。
トイレ問題にかんしてはTVも多少かかわってくるでしょう。
トイレを含め「何をしてあげたらいいか?」と考える人が多く、LGBTへの配慮=トイレかな?というのは、安易というか、もううんざりです。
ご厚意は受け止めるけど、答えは、
「的外れな配慮はいらないし、だったら何かしてほしいなんて思わない。とくに、身体的なことはほっといてほしい、踏み込みすぎないでほしい、それは私たちが望む配慮ではない」
だとおもいます。
私たちが本当に配慮してほしいのは、身体的なことではありません。
NGワードとか、人間関係とか、お金のこととか・・。
精神面の負担も、健康上の負担も、たくさんあります。
ホルモンの注射だって、ある程度発ガンリスクはありますし、けっこうお金がかかります。
一般的な注射は2週間しかもたないのだから、2週に1回の通院を何十年もし続けなければいけないのだとしたら、本当に大変です。
大人と子どもでは違ってきますが、私自身は、他の人と同じように、普通に仕事して稼げることが、LGBTへの配慮としては、一番ありがたいとおもいます。
私たちは「少数派」であって「弱者」ではありません。
何らかの介助が必要だという先入観があるのかもしれませんが、自分のことは自分で何とかします。
自分のことは自分が一番わかっているからです。
必要ならきちんと相談します。
それまで待ってください。
人によってもどうしたいかは異なります。
コミュニケーションを取ったうえで、それをバカにするとか否定したり変な噂を広めたりせずに、受け止めてあげること、聞いてあげることが大切です。
理解者がほしいという表現がありますが、どちらかというと「理解できるわけがない」が本音で、みんながそうとは言い切れませんが、自分たちが感じてきた苦痛や苦労は、経験した人にしかわかりません。
むしろ「簡単にわかってたまるか」ぐらいに思っている人もけっこういるとおもいます。
だから、安易な「共感」は避けたほうがいいとおもいますし、傷つきます。おそらくこの場合の理解者とは、「承認」してくれる人です。
自分のことを知っててくれる人、聞いてくれる人、受け止めてくれる人。
多くの場合、そういう存在がいれば、心強いです。
同時に、それすらも、当事者自身が相談できるかどうか、先述のように「わかってほしい」と思っているはずの本人が、自覚なく「否定的なもの」と捉えているかどうかという、周りがどうするか以前にそういった本人の潜在的な要素も大きいです。
最後に、長くなりましたが、女性の権利や後天的な障害との決定的な違いをお話しさせてください。
子どもの頃から「少数派」だった私たちは、「世の中は自分たちに合わせて作られていない」と自覚して生きてきました。
だから、ないものは、あるもので代用するしかありません。
洋服も、下着も。
トイレも。
家も。
ホテルも。
最近議論されている「女性専用トイレがないのはおかしい」みたいな訴えを見ると、「世の中が自分たちに合わせてくれる」と思っているのかと感じます。
私には、その発想はありません。
ないのが当たり前。
もちろんあったら嬉しいし、そうなってくれることを願っています。
ただ、多数派に合わせて様々なものが作られるのは、当然のことです。
そこに不満はありません。
なきゃないで、何とかしますし、自宅や飲食店のトイレも昔は男女共用の1か所になっているところが多かったはずで、まあ、男の人の後は嫌だなと思いながらも、しょうがないと思って使っていたのではないでしょうか。
要するに、なきゃないで相応しい対応をすることを「おかしい」「間違っている」と指摘したり、正そうとしないでもらえたらいいだけです。
性自認に合わせてトイレを選択することも、元々あった権利が失われたのではなく、今の世の中に合わせたらそうなった、というだけだとおもいます。
助けてほしいのではなくて、協力していきたいから、私たちの行いで変えてほしいことがあったら言ってほしいし、わからないことがあったら聞いてほしいとおもいます。
(文中の「私たち」や「LGBTQ+」が必ずしも全ての当事者に当てはまるとは限らないことも付け加えておきます)