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趣味感覚でやるのが続くのかも

どうも、
思いのほか、執筆が継続している事に驚く私。

ここ最近、「仕事」「作業」というような感覚では
物事の継続は難しいのかな?と思えてきました。

今、自分がしている仕事は
学生時代から当たり前のようにやってきた分野なので
なーんにも違和感を感じませんが

新しいことに取り組むのには
「継続」という壁が立ちはだかる・・・。

色んなことに目を向けてきた私

ヨガ、キャンプ、自転車、カメラ、デザイン、乾物作り、ブログ
家庭菜園、アロマ、水泳、筋トレ、ピラティス、読書、コーヒー

思い返せば、色々とやってんな〜

この「継続」という難しさは
なぜ付き纏うのか?


使命感だけでは、いつか立ち止まる

新しいことをする時
「インフルエンサーみたいになりたい!」
「詳しくなって、仕事に活かしたい!」

とか実用的にというか損得勘定の思考もあったかもしれない・・・

多分、関西人の血がそうさせたのかもしれん(笑)

知識としては身についたけども
全て継続できている訳ではない

続けているとどうしても
「レベルを上げるのに頑張らないと」
「将来のために」

と何かしらの使命感に駆られて動いていた

そうなってくると
腰がだんだん重たくなって続かなくなる。

noteのような執筆活動もそうだ

昔は、理学療法士として
「自分が学んだ知識を伝えたい!誰かの手助けになれば!」
という強い使命感でブログを作成していた。

最初は頑張れたけども
医療関係に関しては適当な事は書けない・・・。

エビデンスがちゃんとないと
周りから叩かれるし、健康被害に直結するし、
準備と仕上げに労力をかなり使うのだ

そうなると急にガス欠になって
思考と行動が止まってしまう・・・

これが継続できないメカニズムなのか?と思った。


いかに自身のハードルを下げられるか?

エッセイ本を読み始めた時期に
たまたま、とある人のnoteに目が入った

継続できない自分にスッと入った記事。

結局、使命感よりも
「趣味感覚の気の赴くままにやれば良い」という感覚が
執筆の継続につながっている。

継続している趣味も
「やりたい時にやる」という感覚で取り組めるものだけ。

最近の執筆活動も

自身の心の中に思うことを言葉にして
吐き出していこう。

という心境で取り組んでいる。


この記事のように
自分と向き合うツールとしてやっているつもり。

自身の心の中のハードルを下げられれば
継続できるのかもしれない。


エッセイストとまではいかない

私の好きな作家である
益田ミリさんのようなエッセイストとまではいかないが

自分の心情を
上手く言葉にできるようになれればな〜ぐらいで考えている。

そうすれば、自分と向き合える時間が増えて
これからの人生の選択肢が
より良いものになるのかもしれない。

私も、
直感力と想像力と創造力を
磨き続けていきたいな〜

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