観た映画の感想 #127『憐れみの3章』
『憐れみの3章』を観ました。
1年に2回もヨルゴス・ランティモスの新作が公開されるという。
その二作のうちのひとつ『哀れなるものたち』がどちらかと言えば割とストレートなエンタメとして観られる映画だとすると今作は怪作。
理解できたかというと正直だいぶ怪しいんですけど、でも「ヨルゴス・ランティモスの映画観たなー!!」っていう満足感は凄かったです。
まずは変なカメラアングル。
人物に寄らない監視映像みたいなアングルとか、第1幕でジェシー・プレモンスがウィレム・デフォーを駐車場で待ってる時の顔だけ見切れてるアングルとか、かと思ったら第3幕の「そこまで寄る必要ある!?」っていうエマ・ストーンとウィレム・デフォーのキスシーンとか。
あとは全然美味しそうじゃない食事シーン。
ランティモス監督の映画の食事シーン、出てくる料理自体はどれもごく普通の料理なのに、食べ方がちっとも美味しそうに見えないんですよね。でも観てて不快にはギリギリのところでならない絶妙なラインをキープしてて、そこがまた映画の妙味になってると思うんです。食事をより動物的な行為と捉えてると言ったらいいのか。
それでいうと『哀れなるものたち』に続いて登場した、突然映される益体もないセックスシーンもそんな感じなのかなーと。今回のは前作以上に笑わせにきてるというか、なんなら作中の本人たちも気まずくなってましたし。スワッピングを撮影したビデオを見ながら「ちょっと音量下げてくれないかな……」って言うところとか完全に笑わせに来てるじゃない!
話の中身的なところでいうと、支配する側とされる側にまつわる関係性の話というか、「抑圧から逃れて自分らしい人生を生きる」ことが人間らしい生き方のように言われてるけど、でも結局支配されるほうに行きたがっちゃう、なんならそっちのほうが楽っていう人だっているよ? っていうようなことを、ブラックなユーモアで語ってる映画なのかなと個人的には解釈しました、
ただ少なくとも第1幕と第3幕はその解釈で当たらずとも遠からずだと思うんですが、第2幕はそれとはまたちょっと違う話なんですよね……
でも「理解できたかどうか」と「好きか嫌いか」って別の評価軸だと思ってるので、こういう感じでも良いのかなとは。
変な映画でしたけど、僕は好き。