観た映画の感想 #130『花嫁はどこへ?』
『花嫁はどこへ?』を観ました。
製作はアーミル・カーンのプロダクションで、彼もプロデューサーとして関わっている映画。アーミル・カーン自身は出演していないんですが、作品のテーマといい作中で印象に残るキャラクターの人物像といい「アーミル・カーンの映画だなー!」っていう映画でした。
『きっと、うまくいく』では学歴社会、『PK』では宗教、『ダンガル きっと、つよくなる』ではスポーツ分野における女性の地位、といった感じで、アーミル・カーンの映画は社会問題、とりわけ長い歴史の中で社会の基盤と強固に結びついてしまった規範の中で「そういう生き方しか許されてこなかった人」の生きにくさをふっと軽くしてくれる作品が多い、というかそここそを創作のテーマにしていると思ってて、今作もまさにそういう映画でした。
今回で言うなら社会に強く根付いている家父長制の中で役割を決められてしまってる女性が自分らしさを取り戻す話であって、でも男性性を一面的に悪とするわけでもなく、むしろ男性にも社会規範が求める男らしさからちょっと降りてもいいんじゃない? という優しみを以てするところにアーミル・カーンの映画らしさがあると思うんですよ。
”本来の花嫁”のほう、プールは夫のディーパクとの関係自体は良好だし妻として家庭に入ることにも不満や疑問を抱いてるわけじゃないけど、知らない駅に取り残された時に自分ひとりで出来ることがあまりにも少ないことに気づく。そこで手を差し伸べてくれるのが駅を根城にして日銭を稼いでいるホームレスの少年と青年、そして売店で軽食を売っているマンジュさん。この人達とプールのやり取りがどれも本っ当に素晴らしくてねー!
特にマンジュさんがプールの夫を想う気持ちは尊重しつつも彼女にかけられた「良き妻たらねば」という固定観念を解きほぐしていくのがぶっきらぼうながらも暖かくて。「”ちゃんとした女性”なんてのは詐欺(フロード)だよ!」って言葉とか、売店の手伝いを続けたプールに給料を渡して「自分の手で仕事をすることができたじゃないか、頑張ったね」って褒めてあげるところとか。
『ラピュタ』のドーラとかディズニーヒロインの前に現れるメンターの系譜みたいな人物ですけど、彼女は彼女で男性主義社会を一人でサバイブしてきた人で、その過程で直面してきた理不尽や悲しみなんかも滲み出てる人で。
プールが売店で売る為に作ったお菓子を「甘いものを口にするような人生じゃなかった」って食べなかったりとか。
だからこそ、終盤でプールがディーパクと再会できた知らせを聞いた時に初めてそのお菓子(カラカンドという、パンフレットによるとカッテージチーズと牛乳を煮詰めて甘味をつけた感じのお菓子らしい。美味しそう)を食べるっていう流れが本当によかったの。ここ泣いちゃいました。
一方で”間違われたほうの花嫁”、ジャヤのパートはもう少しひねりが効いててアーミル・カーン作品っぽさが強め。特に「ある目的のために正体を隠して何かをする人物」が中心人物なところとか、あとは警察署長のキャラクターも『きっと、うまくいく』の学長感あって良かったですね。好感度なんて抱きようもない第一印象最悪の、ジャヤにとっては”敵”として登場するけど(『きっと、うまくいく』の学長と違って彼は賄賂とったり部下を使って一般人に暴力振るってたりするんで実際だいぶ敵寄りな人物ではあるんですが)、最終的には善をなしてジャヤの味方をしてくれるという。
ジャヤの本来の夫はディーパクとは違って金に意地汚いし前妻を焼き殺した疑いもあるという今作でほぼ唯一の明確な悪役なので、人物の背景もジャヤのほうは結構ハードなんですが、居候している形になってるディーパクの家族が意外なくらい寛容で話の分かる人たちなので、物語の展開上に無駄なストレスがない。
そしてジャヤは”ちゃんとした女性”らしからぬほどに自分の考えをズバズバ言う人で、それがディーパク家の女性たちを少しずつエンパワーメントしていくのが良くて。「このレンコン炒めすごく美味しい!」って伝えられて”自分の好きな料理を作る楽しさ”を思い出すお母さん、「絵の才能あるよ!」って伝えられて笑顔を取り戻すディーパクの義妹。
「内に秘めたままにしないでちゃんと伝える」っていうのがシンプルだけど、それが難しい社会だからこそ一番パワーのあるやり方なのかと。
シナリオ以外の面でいうと、インド映画と聞いて多くの人が思い浮かべるであろうダンスシーンが一度もない(挿入歌は結構ある)のと、上映時間124分とインド映画にしてはコンパクトにまとまった作品なのでかなり観やすいと思います。オススメ。