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どこかで見た / どこにもない風景

新作明けましておめでとうございます!

今回は、昨年投稿した 漫画家・panpanyaさんの作品を紹介する記事を一つにまとめてみました

年始のお供に読んでいただけたら嬉しいです

一部、話のネタバレを含みます




panpanyaさんと"町"



新宿で、panpanyaさんが漫画を連載している雑誌 "楽園" の展覧会が行われていて、
panpanyaさんのグッズも物販されていたのですが、やはり人気で、イベント情報を更新しているXでも、売り切れ商品の欄に、panpanyaさんのグッズが連日書かれていました


前回、panpanyaさんの話を書いたnoteでは、緻密に描かれた背景や、現実と夢の狭間を彷徨うような世界が魅力的と紹介したのですが、
他にも、panpanyaさんの漫画の面白い点に、作中に展開する知識量の多さがあります


クヤバノ・ホリデー という単行本に収録されている "比較鳩学入門" という話があるのですが、
主人公の女の子が、別の町を訪れたところ、自分の住む町の鳩よりも、明らかに大きい鳩が停まっている という導入から物語がスタートします


この話では、panpanyaさんの鳥類の体長への知識や、生物を取り巻く環境への知識を知ることが出来て、様々な分野への造詣の深さを感じる と同時に、「panpanyaさん...何者?」とも思います


個人的に、panpanyaさんの""をテーマにした作品には、現実の町の古今東西の混ざる景観からの影響もあるように感じます


自分も、地元を散策していると、閉店しているけれど、看板に薄く店名の文字が書いてあり、かつての名残りがある店の廃墟や、
個人経営と思われる、お宝の眠っていそうな古本屋など、そうした景色が目に入ってくるので、
panpanyaさんの漫画に見られる 町の変化の描写も、そうした着眼点から生まれているのではないかと思っています


足摺り水族館 という単行本のエピソードの一つである "マシン時代の動物たち" では、
機械化する前の自販機の中には実は... というストーリーになっていて、


こちらの作品の帯文に書かれている "過ぎ去っていった消費社会の残像" という言葉のように、
社会の一部分に目を凝らせば、そこにはリアルで、またファンタジックな何かが秘められている といった
日常と隣り合わせの違和感を描いている話のように思います!





ゆめうつつの散策



panpanyaさんのマンガに「枕魚」という話があるのですが、この話で驚いたことがあって、


作中で、マクラウオという魚が昔、枕として重宝されてきた → その質感を基に枕が作られるようになった というシーンがあり、


最初、本当の話だと思っていたんですよね
マクラウオという魚も実在すると思っていました


ある日、マクラウオと調べてみると、こちらのpanpanyaさんの単行本の情報が並んでいて、「あ!フィクションだったの!」とビックリしました


話の中で、マクラウオの 科 属 体長 という説明もあったので、信じていましたね


panpanyaさんの世界観は夢の中みたい と以前の記事で書いたのですが、


今回の「枕魚」のように、ところどころに現実の欠片も散りばめられていたりして、


より、現実と非現実の境界線を散策していくような面白い感覚になります


東横線は実は4本走っている という導入からはじまる「east side line」でも、


残る3本を見つけるために、東横線の駅構内のより古い時代の場所を辿っていき、探していくという


都市伝説を一人で追いかけていくようなロマンを感じることができ、


また、世界が謎で満ちていた子どもの頃の宝探しの雰囲気とも重なるように、個人的に感じます


夢を振り返ってみて、夢とうつつを散策しているような感覚はよくあります


かつて通っていた学校の校舎とか
使っているスマホの画面
怖い話も好きなので、テレビの心霊特集など


そういったものが夢の中でも現れるので、そこで現実だと思ったりするんですよね


panpanyaさんのマンガでも、
枕魚」は、""と""
east side line」では、具体的な路線の名前が出てくるので、


そうした身近なものの登場により、どこからフィクションで、どこから現実なのかを考察する面白い探求が出来るように思います




panpanyaさんと"記憶"



panpanyaさんの単行本「魚社会」から2つのエピソードを選び、その感想を書いた記事になります


秘密

あらすじ

主人公の女の子が友達と遊んでいたところ、ボールが、ある民家の敷地に入ってしまったので、取りに行くことに

しかし、その民家は正面をブロック塀が覆い、周りを他の民家に囲まれ、入り口らしきものが見当たらず、主人公たちはどうボールを返してもらおうか考えることに...

panpanya 「魚社会」より





この作品では、一見してどこにも入り口がない家という、気になる違和感が描かれていて、その謎を残したまま、話も想像の膨らむ終わり方をします


この話を読んで、入口がない家までは行かないですが、実は近い体験を自分もしたことがあります


幼少期に、家族で出かける際、よく通る山道があって、そこを走っている時に、窓から周辺の家を眺めていると、
住宅の2階にあたる場所にドアが設けられていた家を発見して、(何あれ!)と思ったのです


それは家族も確認していて、それからその山道を通る度に、(そろそろあの家だよ)と、家族が教えてくれて、
我が家だけの観光スポット的な存在になっていました


当時は(これナニコレ珍百景だよ!)と一人で盛り上がっていたのですが、
今、どうして2階にドアがあるのか調べてみると、


雪国では、特に山沿いはものすごく雪が降り積もるので、1階のドアから出られなくなってしまった場合、2階から緊急脱出できるように設けられている という結果が表示され、「なるほど!」と思いました


秘密」のほかに、「魚社会」に収録されている日記で、panpanyaさんが、ふしぎなマクドナルドに行った という話があり、


建物のよく見ると謎な部分を深掘りするような視点が、「秘密」のような奇妙な違和感の構築につながっているのかな? と思います




カステラ風蒸しケーキ物語

あらすじ

2019年頃、panpanyaさんは、「カステラ風蒸しケーキ」という菓子パンに感激し、ストックを確保するほどハマっていた

ある日、ストックが無くなり、店に買いに行ったところ、品揃えが変わる時期で、その店での販売が終了していた

このような導入からはじまる、panpanyaさんとカステラ風蒸しケーキのドキュメンタリー的な物語

panpanya 「魚社会」 より




この作品は連作になっているのですが、カステラ風蒸しケーキにハマったpanpanyaさんが、店頭から無くなっていく蒸しケーキを追い求め、一喜一憂する様子が描かれています


実は自分の住む地域に、ぽっぽ焼き風蒸しパンという菓子パンが売られていて、
話を読んだ後に、そのパンとカステラ風蒸しケーキが同じメーカーの仲間であることに気付き、(こんな身近に繋がりが!)と思いました


panpanyaさんの食べている蒸しケーキは、限られた店にしか置いていないので、おそらく知る人ぞ知る菓子パンだったのではないか?と思うのですが、
自分は、この知る人ぞ知る食べ物でも、近い体験があったりします


先ほどと同じく幼少期に、自分の母方の実家に帰省すると、祖母がいつもムギムギという駄菓子を家に置いていて、
グラノーラみたいに牛乳をかけて食べていました


それで当時は、普通に帰省の度にムギムギを食べていたのですが、
今振り返ると、ムギムギって知る人ぞ知る駄菓子だったんじゃないか? と思ったのです
家族が地元のスーパーなどで、ムギムギを買ってきた記憶がそういえば無いなって、


でも、そう思っていたら、普通に地元のダイソーに売っていました
この話を読んで、ムギムギはもしかしたら自分版カステラ風蒸しケーキのような存在なのかも! と思ったので、久しぶりに買って食べてみました


味は変わっていませんでしたが、調べてみると、一度販売終了した後、メーカーが変わり、再販されたと書かれていました


そうした記憶を、カステラ風蒸しケーキ物語を読んで思い出しましたね




開発



夢の中でごちゃごちゃした街を通勤(?)したことがある


場所はなんとなく東京感があり、高架下のようなところに広がる景観の中を汽車が行き、通り過ぎた後の踏切を大勢の人が渡っていた


しばらくすると、市場のような活気に溢れたところに出て、またしばらくすると急に現代的なステーションが現れ、自分はメトロのような乗り物でどこか遠くへ向かった


イメージとしては、panpanyaさんの漫画の「開発」という話に出てくる街に似ている


主人公たちが、殺風景だった土地を開発していき、次第に国道や鉄道も通るようになり、最終的には、病院やコンビニなどの建設依頼が急増したことで、ごちゃごちゃな街が生まれた という話である


主人公たちが自分の開発した街を見て、
なんとかすればなんとかなるもんだな
しっちゃかめっちゃかではありますけどね
と評価していた


しっちゃかめっちゃかな街は、また忘れた頃に現れるかもしれない




イノセントワールド



2013年に発売されたpanpanyaさんの「足摺り水族館」に収録されている「イノセントワールド」という話に最近ハマっています


読んでいると少し泣きそうになるというか、物語の儚さがグッと来る感じがあるんですよね
なので、その話をしてみようと思います


あらすじ

修学旅行先の京都で、みんなとはぐれてしまった主人公は、スケジュールで回ることになっていた京都タワーに一足先に向かった

展望台から景色を眺めていると、あるはずのない第二の京都タワーの姿を見つけ、せっかくなので訪れてみることに...

panpanya 「足摺り水族館」 より



旅行先ではぐれたことをきっかけに、京都タワーの謎を追う独特の世界観の作品になっていますが、
この作品のもう一つの特徴に、全体的にクレヨンで背景を塗りつぶしているような普段と違った作画になっている点です
それもあり、全体的に作品から儚さを感じます



こちらの作品は、"SF研究会"という同人サークルの冊子に収録された同人誌作品であるため、もしかしたら実験的な作風になっているのかもしれないです


儚い描写の中で物語が進んでいき、第二の京都タワーに到着するのですが、
第二の京都タワーには人が全く居なくて、受付の人にそのことを尋ねると、
それは"第二"だからであり、はじめから第二の京都タワーは誰も必要としていなかった」と言われます


すると主人公は、展望台を眺めながら「そうか、なんかかなしいね」と呟くのですが、
このシーンにジーンと来るのです


説明を受けた時の気持ちを想像すると、やっぱり悲しいと思いますし、人の居ないタワーの哀愁感とも重なって、切なくなります


シンプルなセリフで、景色を深く表現していて、すごいな と思いました


そのあとに、「第三の京都タワーがある」というので、受付の人と車に乗り、向かうことになります
到着すると、そこは灯台で、「第三の京都タワーを計画する途中で頓挫したために灯台になった」と説明されます


灯台から景色を眺めていると、主人公は、みんなが乗っているフェリーが帰ろうとしているのを目撃するのですが、
この時に「キレイだね みんなが手を振ってる」と呟くのです


あー!乗り遅れた!」とかではなく、みんなが行ってしまうのをすべて受け入れているようなセリフがすごく印象的ですよね


この話のタイトルは、「イノセントワールド」で、
訳すと イノセント→無垢な ワールド→世界 で、「無垢な世界」といった意味になります


作中では、「イノセントワールド」というワードは、一切登場しないのですが、
それでもどこか無垢な空気を感じ取ることが出来るのです


その一つに、第二の京都タワーが必要とされていないことを知った際の、「なんかかなしいね」というセリフや、
乗り遅れたフェリーを見て、「キレイ」「手を振ってる」という感想が最初に出てくる主人公の姿があるのではないかと思うのです


そう考えた時に、翳りがなく、思ったことをそのまま言葉に表している主人公に、懐かしい気持ちを思い出して、ジーンと来るのです


なので、「イノセントワールド」は、大人になってから分かる感情を儚く描いている作品だと、個人的に感じました



今回のタイトルは、単行本「枕魚」の帯分から引用しました!

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