平山夢明『恐怖の構造』を読んだ
平山夢明の『恐怖の構造』を読んだ。
Twitterに投稿しようとしたけど、思ったよりも長くなったのでnoteに書いてみることにする。これから読書記録をつけていきたい(続くかは分からない)。
ホラー作家である平山さんが「人が恐怖を感じるもの」の構造を目一杯感情を込めて書いていく新書なんだけど、科学的根拠なんてなく彼自身の主観によるものであるというのが面白かった。「私はこういうものが怖いです。だからこの映画が怖かった」っていう語り口で聞く映画の感想は新鮮。ホラー作家である平山さんが自分の感じる恐怖について語るということは、どのようにして読者である我々を驚かそうとしているかを理解することに繋がる。それさえ理解できれば自分にとって「ハズレ」のホラー作品を引くことが減り、良質なホラー作品にたくさん触れることができるんじゃないかと思う。
私はホラーというジャンルが好きで、小説も映画もとりあえず手を出す。ただホラーと一口に言っても私はスプラッタも見るし、サスペンスも見るし、「不安に対する感受性」が強いんだなと思った。いろんなことが不安だから何もかも怖いと感じる。
ただお化け屋敷の類は好かない。実際に目の前にお化け(の格好をしてる人)が現れると不安を通り越して恐怖を強く感じるから固まってしまう。*1
ホラー作品が人に与えるのは行きすぎた恐怖ではダメ、不安である必要がある。ここがミソで、人間は恐怖より不安をコワがる生き物であるらしい。
どうやら、恐怖はなにかを恐れるストレートな感情、不安は恐怖未満のモヤッとした感情、と区別することができそうです。
(『恐怖の構造』、P48)
私はこの数ヶ月ずっと調子が悪く、大きな病院に何度も通っていた。病院に行っても異常が見当たらないという状態はとても不安で、早く病気が見つかってくれと祈っていた。ここまでが平山さんの言うところの「不安」を抱えている状態。検査をすることになったとき、知人に何もないといいねと言われ、「それじゃなぜこんなにお腹が痛いのか分からないからいやだ」と返事したことを覚えている。検査結果で病気が見つかったときは安心した。病気が見つかりさえすればそのあとの対応は明確なのであまり怖くない。
平山さんの著書であり映画化もされた『ダイナー』について。私はこの小説が大好きで映画も観に行ったんだけど、映画はひどいものだと感じた。そのとき私がツイートしたのは「これはひどい原作レイプ」というような内容。このツイートを巡ってちょっと色々ありよく記憶に残っているので、これについても書く。
原作の『ダイナー』で主人公のオオバカナコは冴えない女性という設定。美人でもなく優秀でもなく、唯一「私は料理がうまいです」という土壇場の一言により生き残り、殺し屋専門の店であるダイナーでウエイトレスとして雇われる。ただオオバカナコは魅力も何もないから誰も彼女の名前を覚えないし、生死にも興味がない。ここまでが原作の設定であり、あらすじ。
一方映画の『ダイナー』はどうかというと、オオバカナコ役を演じてるのはめちゃめちゃ綺麗なモデル(敢えてネガティブな話で名前を出すのもアレなので伏せます)。そしてそのオオバカナコと、ダイナーのオーナーは最終的に恋に落ちる。
ここで私が感じた違和感というのは、原作小説→映画の順番に見ていないと分からないと思う。『恐怖の構造』より要約すると、「『ダイナー』では主人公が大きなアーチを描いて成長するようにキャラクター設定をしている。何も持っていなかったオオバカナコが、壮絶な体験を経て猛獣になる」とある。
映画の『ダイナー』では主人公が最初から美人で、恋愛的な要素なんて一切ないのに何故か最終的にオーナーと恋に落ち命を救われる。平山さんが言うところの「成長のアーチ」が感じられなかった。
平山さんはホラー小説を楽しむためにはその作家が何に恐怖を抱いているかを読み解くことが重要、と言っている。根底にある作家の恐怖を読み解くこと。平山さんが原作小説を通して読者に体験させたかったのは前述の通り、オオバカナコの成長の様子と、オオバカナコが何も持たない人間であるせいて死を身近に感じると言う恐怖。それらが映画では「オオバカナコが美人」というだけであっという間にクリアされる。私はこれについて、当時「原作レイプ」と一蹴した。そして今でも当時の言葉は過剰であったと思うものの、原作と映画は全く別の作品になったと感じてる。
以上です。
*1 追記(10月29日)
なぜ私がお化け屋敷を怖がるのか考えてみた。
まず私はお化け屋敷に出てくるようなお化け、例えば血塗れのナースやゾンビが登場するようなゲームは怖くない。そういうものの等身大の模型も怖くない。近寄って触ることができる。
次に、私はとても驚きやすい。家族が後ろから近寄ってきたことに気づかずにいると驚いて大きな声を出してしまう。外で買い物をしていて、店員さんが話しかけてきただけで驚くこともよくある。ただ、歩いていて動物が急に駆け寄ってきてもそんなに驚くことはない。ビクッとすることはあっても人間ほどの恐怖は感じない。
背景として、私が小学生のころ道端で大人の男性に痴漢をされたことが原因ではないかと思った。歩いていたら後ろから体を触られたのだが、小さいころの記憶がだんだん薄れていく中、この記憶だけは鮮明で消えない。これが原因で、人間の形をしたモノが死角から現れると過剰に恐怖を感じて体が固まってしまうのではないかと思う。
自分が感じる「恐怖の構造」を理解したので追記とする。
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